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澤木興道老師の御染筆による本堂扁額
 

神應院は元々、国泰寺塔司として建立されましたが、文政元年、国泰寺十七世
実勇が、浅野藩七世 浅野吉長、九世 浅野重晟の墓寺として独立させ沼田郡
新庄山に一建立しました。
その後、明治二十年、広島小町 趙叙院を当寺に合併。
神應院は広島小町の趙叙院跡に移されます。
明治三十一年、軍港として開けてきた呉市に曹洞宗の寺院として当地に移転。
同時に神應院二世として東京より悦玄方丈が赴任。苦労して伽藍を整えたもの
の呉空襲にて全焼する。しかし昭和二十四年早くも、三世正俊が仮本堂を建築。
二度の増築を経て昭和四十五年、現本堂を中心とする伽藍に整え、今に至って
います。

 

【 新庄に建立された神応院の伽藍形態 】
  本堂 向六間半、入五間半
  本尊 正観世音菩薩 脇侍 大權達磨
  開山堂 向二間、入四間
  禅堂  向四間、入三間 いまたとゝのハす
  鎮守社 向七尺、入二間 これもいまたとゝのハす
  土蔵  二間梁に三間
  仮倉  九尺に二間
  納屋  二間に五間
  境内  坪数千六百九十六坪七分三厘七毛五弗、一圓御免地なり


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