「この頃思うこと」

東北の大震災を機に「繋がり」「絆」という言葉がクローズアップされ、さすが日本人と思
わせてくれたように思います。私の子どもの頃には「向こう三軒両隣」という言葉を良く耳に
した記憶がありますが、日々の生活の中で、お互いが心を配り、声を掛け合い、助け合うと
いうことは、ごく当たり前のような感じであったように思います。人と人との「繋がり」や「絆」
というものが、改まったものではなく、身近な所で自然な状態で生きていたといえるでしょう。

時代背景としては、戦後、少しずつ生活もどん底からはい上がりつつある頃で、目標は
「欧米の様な豊かな生活」を求めて懸念に働くことを念頭に思い、忍耐し努力した時代で
あったと思います。そして東京オリンピック、大阪万国博はその思いを一気に膨らまし夢を
実現させ、日本という国を国際社会の重要な存在に押し上げて行きました。経済的にも物
質的にも豊かな生活を手にする事が出来、目標は達成された様に思ったはずなのに、人
間の欲というものは次々と出て来るもので、もっともっとと欲を求めて、常に右肩上がりの
経済成長でなければいけない状態になってしまいました。人の心は、経済を中心とした願
望の虜となってしまったと言えるでしょう。確かに経済は人間の生活にとって大切なもので
はありますが、あくまで人間が生活していく為の一つの手段でしかありません。経済の舵
取りは人間がするわけですから大切なのは経済ではなく、人の心、人間性、人格であって、
その部分をしっかりと養い、高めて行かねば正しい舵取りは出来ないと思います。私には、
その辺の最近の日本の在り方、日本人の在り様(自分も含めて)が少しずつずれて来てい
る様に思えてならないのです。全てを経済ということで切っていく。多くの物や行いを単に
経済という面だけで価値判断をしてしまう。目に見えないものは簡単に捨て去られてしまい、
長い日本人の歴史の中で培われてきた精神文化、伝統文化の価値さえ、判断基準が変化
してしまった様に思えるのです。今、豊かさという土壌の上に立っている自分。個人と思え
た自分も、実は多くの繋がりの中で、生かされている。それは先祖と子孫という過去・現在
の繋がりの中で、友人・隣人・家族という絆の中で、私たちは守られつつ、生かされている
ことに気づくべきなのです。その上で、経済だけの薄っぺらな豊かさではなく、長い間、日
本人の繋がりや絆の中で育まれて来た文化や精神的なものも含めての豊かさをしっかり
と受け継ぎ、又、次の世代へと渡していこうという覚悟と行動が伴った生き方が、今こそ問
われていると思います。

そんな事を考えていると現在の社会で気になる現象の一つに「お墓はいらない」「お葬式
もしない」「昔のメル友、今は墓友」という軽いのりでコマーシャルされるお墓の在り方、一体
どうなっているのでしょうか。そこには全く命への尊厳もないし感謝も報恩も又家族の繋が
りや絆も感じられない風潮があるように思えてなりません。お墓というものは、単に亡き人
の遺骨を収めるだけの場ではなく、ご先祖様たちと自分との結びつきを確認する、自分の
命の背景にある過去の人たちとの繋がりや、命の重さ、責任を感じ取る場所だと思うので
す。
直葬に至っては、人の命を微塵も感じさせない、まるで生ごみ扱いにする様な行為には
本当に腹立たしく思います。豊かになり、平和の世の中になっても人の心がこんなことでは
どうしようもない。ご先祖様に申し訳ない気持ちになります。どうか皆で私たちの命の重さ、
繋がりや絆の重さ、受け継いだDNDの大切さをしっかり感じ取りながら、他者への思いや
り、温かさの持てる人間になるべく努力を重ねて行こうではありませんか。子孫や孫、後世
に遺していけるものは、経済的財産だけではありません。人として、正しい行為こそ、後の
人に遺していけるものではないでしょうか。互いの命を大切にして生きる事を考えていきま
しょう。

 
 
 
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