「 悼むこころ 」

 今年の梅雨も、全国各地に多大な爪痕を残して行きました。
亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、残された方々の心の痛み、被災地の早期
復興を心より願っております。
毎年、沢山の犠牲を伴う大きな自然災害が繰り返される度に、心が暗くなってしまいます。
平凡で幸せな毎日が突然断ち切られてしまう悲しさ、辛さ。
何事も、いつまでも続くということはないのだと解っているつもりですが、突然に失う命を前
にして、「生」の終わりは、いつ来るのか分からないのだということを目の前に突き付けられ
ているような気がします。そして今、自分が生かされていることに心から感謝する中で、与
えられた命の大切さを感じないではおられません。

 こうした私達の大切な命は、以前から述べてきましたが、計り知れないほど深く縦横無尽
な広がりを持つ繋がりの中で存在しているということをしっかり心の中に刻み込んでおかな
ければならないと思いますし、ここまで繋いでもらっていることに大きな責任をもって受け止
めていかねばならないと感じています。
今、ここに居る自分の後ろには沢山の繋いでくださった命の存在があったということを私た
ちは忘れてはならないのです。しかし、現実の世の中においては、尊厳をもって命と向き合
うという方向とは別な方向に人々の心は進み始めているように思えてなりません。
「悼む」ということ、「偲ぶ」という思いを今一度考えねばならない分岐点に、今、私たちは
立っているように見えるのです。
そんなことを考えながら過ごしていた時、以心伝心という思いで佐々木宏幹先生と正木晃
先生の対談記事に出逢いました。
我が意を得たり!という思いで拝読後、是非とも皆様にご紹介し、考えて頂く切っ掛けにし
て戴きたいと引用させて頂きます。

佐々木 (前略)日本は葬儀中心の仏教だといわれる。葬式仏教というとインテリからは
あまりいい評価を受けていないけれども、しかし これは とても大事なことなのですね。
イラク北部のシャニダールという洞窟遺跡から旧人(ネアンダルタール人)の人骨が発掘
された。その人骨のうちの何体かは埋葬されたものではないかといわれています。その
墓の土を分析すると花粉や花弁が確認されて、つまり故人を悼んで花を手向けたという
ことです。葬祭の起源ということで有名になった例ですが、やはり人類の起源は死者を尊
んで祀ったことにあるということ、正木先生、これはどういうふうに考えたらいいでしょうか。

正木  死者を悼むという行為が、結局、人間のあらゆる文化や文明の起源だろうという
ことですよね。象でも仲間の遺骨というか、骨を鼻で触って悼むということをするらしい。
象はかなり知的レベルが高いみたいですが、やはり例外的です。それに対して、死者を
悼むという行為が、人間の場合は普遍的に行われるということだと思います。

佐々木  そうですね。猿やゴリラでも死を悼むという行為があって、その場所をなかなか
離れがたいような形をとるけれども、その後を祀るとか、悼むということはないようですね。

正木    そうです。

佐々木  それがやはり人間と動物との決定的な違いというふうに思える。だから、人間と
いうのは何だというと、葬式をすることをしなくなったら人間じゃなくなる、ということも言える
のではないですか。― 後略 ―

         仏教企画刊『曹洞宗禅グラフ 2017夏号NO.141』
            駒澤大学名誉教授 佐々木宏幹×宗教学者 正木晃
            対談 『霊魂は宗教の基盤である』より抜粋

 死というものに対して悼むとか、祀るという行為は、命を尊ぶ、そのものの存在を尊ぶこ
との現れに他ならないもので、人間が人間であること、人間として存在する根源的なところ
だと語っておられることをしっかり受け止めねばならないと思います。
「葬式をしなくなったら人間でなくなる」と佐々木先生の語られることの意味を正しく理解し
ていくことの大切さを痛感しています。
葬儀の意味は一体何なのか。
葬儀を行い、哀しみ悼む中で亡くなった人への思いを深くしていき、尊敬と感謝の心で故人
を見送りながら、そして遺された者は、故人との繋がりを確認しつつ、自分自身も心の痛み
から少しずつ立ち直っていく区切りの儀式でもあるのです。
経済的視点からだけではなく、心の観点からも私達の先祖が延々と続けてきた儀式の意
味をお盆月を迎え、今一度考えてみる必要があると思います。

 
 
 
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