「 伴 走 」

 伴走という言葉にひかれて少し調べたときに、偶然出て来た茨城県龍ケ崎の山崎さん
という方の文章に出会いました。
読む内に、すっかりその内容に魅了されてしまいました。
伴走というのは、目が見えない方と一緒に走りながら、進路の方向、路面の危険個所を
知らせ、安全を確保し、ペース配分、給水の時のサポートなど気を配りながら一人で走る
時とは違った難しさ、楽しさがあるのだそうです。
そんな伴走者を務めながら、いつか山崎さんは、伴走者の「伴」は、「共」にということに通
じるのではないかと思い始めたというのです。
伴に走って援助するだけでなく、共に走り、共に楽しみ、共に目標を追い求めていくような
伴走者でありたいと思うようになった。
しかも、一緒に走ることにより、自分もハイペースにならず楽に走りきることが出来たよう
に思うとエッセーは終わっていました。

 マラソンだけでなく、人生もまた同じなのではないでしょうか。
ひとりでは味わえなかったことが、人と交わり、共に過ごすことで生まれてくるものがあり
ます。
相手を気遣い、思い遣って生きていく中で、相手も自分も共に幸せになって行く、そんな
生き方が出来れば最高ではないかと思いました。
8月は、お盆月です。
人は亡くなってしまえば、それで終わりなのでしょうか?
そうではないと佛教では説いています。
日本では昔から「草葉の陰から見守っている」という言葉がありますが、目には見えない
けれども亡き人、ご先祖様は、私たちの暮らしを見守り続けて下さっています。
正に「共に」あるというのが、我々日本の佛教の昔からの教えです。
亡き人の見守りの中で、私たちは生かされ、目には見えないけれども常に一緒にいるの
です。
そして更に言えば、佛様も常に私たちと共におられます。
私達が道に迷い、希望を失い掛けた時、どうにか立ち上がって歩き始めるようにと共にい
てエールを送って下さっているのが佛様です。
残念ながら私達には、佛様のお声も、なかなかお姿も聞こえず、見えないかもしれません。
でも、常にそうであるということを感じるようにこころを澄ましていくことが大事なのではない
でしょうか。

 今回の西日本豪雨災害は、本当に痛ましいことでした。
亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、今も辛い日々をお過ごしの多くの方々、
どうぞ、あなたのことを見守っておられる周囲の人々、友人、佛様、亡くなった方さえも、
皆、あなたと共に走っていることをどうぞお感じ頂きますよう心よりお祈り申しております。

                                                 合掌

 
 
 
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