子供の頃、母に叱られると「だって~」と言っては、また叱られた。
「なんでいつもそう言うの。いつだってあなたはそう言って言い訳をする。
そんなに自分が可愛いの?」
「だって」の一言で、お小言の時間は倍増し、母の迫力も増してしまうのに、つい心の中で「そんなこと言ったってなあ」と思うと、そこから先が口に出て「だって~」になる。
「あなたのその我の強さを直さない限り、成長しないから」
そう言い捨てて母はくるりと背を向けて去って行った。

そんな光景が、時折、記憶の中で甦る。
あの時の母の気持ちはどうだったのだろうか。
我が子の情けなさに腹が立っただろう。
どうしたら親の気持ちが伝わるだろうかと心を痛めたことだろう。
父が逝き、母が逝った今、時々いろんなことを思い返す。
きっと空の上から今の私を見て、
「まあ、あの子は未だにだって、だってを言い続けていますねえ」
困ったもんだ、どうしようもない奴だと散々二人で嘆いているに違いない。

その気持ちは大いに分かるけれども、これでも努力しているんですよ、
お父さん!お母さん!
大人になるってどういうことなのだろう。
進歩、成長ってどういうことだろう。
だって~、毎日遊んでいるわけでもない。
それなりに日々の暮らしを大事に積み重ねて来ているつもりだけれど、些細なことに
つい振り回されて、イライラしたり、落ち込んでへこんでしまったり、妬んだり。
人間生きている限り、感情の器ですもの、あの世におられる方々とは娑婆の者は違う
のですよ。

「まあ!あの子、あんなことを言ってますよ。」
「あんなんじゃ、こっちへ来ても、即、送り返されるな」
「そうですねえ、あれじゃ、まだまだ娑婆で修行を繰り返さなければなりませんねえ」
「ま、当分無理じゃな」
夏が近づくと、空に入道雲が湧き始める。
雲の彼方から、今は亡き両親がこんなことを言いながら地上にいる私たちのことを
心配して見守ってくれているのだろうか。
おーい!お盆が近づきましたが、今年もお帰りをお待ちしていますよ!