明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
この新年を愛でる言葉の中に、新しい歳への多くの期待と夢が込められている。
コロナが流行り始めて、4年目。
外出の機会も減った。
特に人の集まる場所へは、なかなか行きにくい。
「もしかして・・・」ということが常に頭の中でよぎり、最後まで迷って断念するというパターンを繰り返してきた。
それがなんだというのだ。
今やネット社会になり、居ながらにして買い物も出来るし、映像も、音楽も、愉しむことが出来る。
だから危険を冒してまでも、わざわざ外出することはないじゃないか。
別に家にいてもやることはあるし、愉しむことは出来る。
確かにその意見は正しい。
だが、何かが違う。
話題の映画も少し待てばネットで観ることが出来る。
出掛ける準備をして、外出し、映画館に向かう。
そんな面倒なことなどしなくとも簡単にスイッチを入れ自宅で寛いだ格好で観る。
これでいいじゃないかと思う反面、何故か淋しい。
それは「特別感」が抜けているからだ。
新聞雑誌で新しい映画の宣伝を見る。
ああ、こんな映画が始まるんだ・・・。
いつからだろう。
どこでやるんだろう。
と思いながら宣伝広告を見る。
そして待っていた放映日が来ると、なんとなくウキウキして出掛けて行く。
チケットを買い、座席を確認してシートに座る。
空気がざわつき、動き始める。
次々観客も集まってきて次第に館内の座席が埋まっていく。
そして開演のブザー。
シャラシャラシャラと音を立ててスクリーン前のカーテンが開いていく。
ああ、始まる・・・。
映像が流れ始め本編が始まるまで数本の新作映画の紹介が続く。
まるで「待て」を指示されているような、その待っている時間が、本編映画への期待を膨らませ、映画を観ることの楽しさを倍増させる。
映画館に映画を観に行く愉しみは、そこにあるのだ。
少し緊張感を含んだこの豊かな時間。
自宅で寛いで観ることとは違う特別感。
わざわざ出掛けていく最大の愉しみは、この待っている時間があるからこそ倍増していく。
待っている時間。
今、私は新しい歳の始まりを待っている。
コロナで長い時間、待たされた次のステップへの扉が開ける時を待っている。
どんな歳になっていくのか。
どんなことに出逢えるのか。
新たな人との出逢いはあるのだろうか。
さあ、始まる。
シャラシャラと音を立てて幕は開いた。