毛糸をいろんな手法で編んでいく。

小さなパーツをいくつも作って大きなものにする。

色も、編み方も、糸の種類、太さ、条件を変えれば、いくらにも趣が変わってくる。

その上なんだろう、編手によって風合いが変わってくるのが不思議だ。

糸をきつめに、きっちりと編む人。

ゆるやかに甘い編み方にする人。

色合わせの妙。

 

昨年、日曜学校発足70周年、お寺の婦人会の菩提樹の会30周年を記念して、コンサートとお話し会を合わせた行事を行った。以前よりご縁のあった先生や演奏家の方々、これを機に御縁を深めさせていただいた方々に助けていただきながら盛会の内に行事を終えた。

それから、歳を越し、様々な取り組みをお寺の一角で始めてみた。

先ず、ワークショップを手始めに、年が明けてからは、文庫を始めた。

素人の無謀さで何も知らないまま歩き始めた。

「お寺に小さな文庫が出来ましたよ~」

と言えば、今の若い世代には、

「文庫って何?」

ということのなるということも知った。

文庫って小さな図書館ですよ、という説明が必要だった。

覚悟はしていたものの、お寺の中にあるということで文庫を訪れる一歩を踏み出しにくいということもあるらしい。

とにかく月に二回、火曜日の午前10時~午後5時まで、うてな文庫を開け、訪れる人を待つ。

本を読まなくても、ぼーっとした時間を過ごす場所として。

自分だけの時間を作る場所として。

お子さんと好きな本をみつけに来てみるのもいい。

とにかく、この場所があるよというサインをお寺から出していかなければならないと思う。

 

― お寺の社会性とは? ―

いつもこの一語が頭にある。

何のためにお寺はあるのか。

この一年もずっと考えていた。

考えながら歩いてきたら、いろんな人たちが助けて下さった。

おぼつかない足取りを心配して傍にいてくれる人。

さりげなく手助けをしてくれる友人。

自分の経験を通して、私の活動を常にアドバイスしながら見守ってくれる友人。

ご縁を切っ掛けに行事を快く引き受けて下さる方々。

文庫の方向性、子どもたちとの本の関係をアドバイスして下さりながら心配して下さる先生。

そのひとり一人が、気が付けばひとつの編み物のパーツのように様々な編み目を作りながら、この一年という大作を一緒に編み込んで下さったような気がしている。

人は、支えられて生きていくもの。

大人も、子どもも、性別も関係なく、されぞれの歩みを丹念に編み込みながら他と繋がって生きていくものなのだと、12月を迎えて振り返りながらしみじみと感じている。

この一年、本当に感謝という思いしかないと思いながら、来年も、ちゃっかりこの広がった編み地の縁に大いに甘えさせて頂きたいものだと今、私は、内心もくろんでいる。