
それはいったいどういったものなのだろうか。
世に健康雑誌は山ほどあり、血圧、コレステロール、糖尿と様々な問題を取り上げながらその対処の仕方を掲載している。
初老を迎え、お腹がぽっこりと出てきた知り合いのA氏は、医師から痩せることを勧められながらも
「好きなものを食べて、好きなことをする」
と一向に改める気配はない。
健康のためと言って、あれも駄目、これも駄目では楽しくない。
好きなものを食べて、好きなことをやらないと人生面白くないじゃないかというのが持論。
それぞれの考えがあるのは認めるが、何が何でも菜食主義というのは人生を狭めてしまうというのがその理由。
成程、そういう考えもあるのかと、少々太り気味の逃げ口上とふっと笑いながらも妙に納得できるものがあった。
要するに自分の基本路線はあるものの、他人と付き合いながら歩む人生の中で、時に自分の主張を引っ込め、相手に合わせながら交流を深めていくことが人生を豊かで楽しいものにしていくのではないか。
A氏の話を聞きながら、なにやら和田秀樹先生と同じようだと可笑しくなった。
和田秀樹先生も、身体のことを考えてラーメンは高カロリー食だから食べないのではなくて、好きなものを食べていた方が精神的にも安定して、結果、人生も楽しく身体に良いのだと言われる。
添加物を気にしてコンビニ弁当がいけないと言うけれど、もし添加物の影響が出るとしても20年、30年先のこと。果たしてその頃に自分は生きているのかと考えれば、自分でする偏った調理よりも一食のお弁当の中にバランス良く肉や野菜が様々入っているコンビニ弁当の方が、はるかに良いのかもしれないという文章を読んで爆笑してしまった。
確かに身体のことを考えていくことは大事だけれど、その為に自分が近視眼的な視野に、なっていないか。
あれも駄目、これも駄目、排除、排除を重ねていく内に自分の人生のエリアが狭くなり見るもの、聞くものも限られたものになっていくような気がする。
例えば、旅の楽しみのひとつに食事がある。
その土地、その土地に育まれた郷土食に舌鼓を打つという体験は、自分の中に驚きと発見をもたらす。長野の鯉こく、盛岡のじゃじゃ麺、ビスケットの天麩羅を発見したときは本当に驚いた。
そんな驚きと発見が、味覚、視覚を通して強く記憶に残っている。
生活空間とは違った場所に行って、その場を味わい楽しもうと思ったとき、いつもの自分の囲いを外してみるのも大いに有りだと思う。
勿論、羽目を外して危険なことをしろというわけではないが「やったことがないこと」を試してみるということは、自分の新しいドアを開けるようなものだ。
人生を面白く、苛立ちや焦り、怒りから自分を解放してもっとおおらかに生きていく。
こころも身体もリラックスして、融通無碍。
駄目もとで結構。
やらないより、やってみることのほうが面白い。
厳冬の2月―
寒さに身体は強ばるけれども、こころは、おおらかに人生を楽しんで日々を送っていきたいものだ。
