「一年経つのは早いもの」

そういうことを言い始めたのはいつ頃からだろうか。

子どもの頃は何にも考えなかったのに、ある程度年齢が過ぎてからそんな言葉を言うようになった。

初めは在来線のホームで電車を見送る程度であったものが、近頃では新幹線のホームで通り過ぎていくのぞみ号を見送る気分だ。

瞬く間に過ぎていくのぞみ号の後ろ姿を見ながら呆然としている。

本当にあっという間の365日。

時代の流れも速くなり、ぼやぼやしていると自分の人生が終わっていたなんて笑い話にもならないが、そんな気さえしてくる。

賜物である日々を大事に抱えながら生きていかなければと、改めて年頭に思う。

 

お寺の婦人会である菩提樹の会も高齢化が進み、以前に比べると会員も減った。

意気消沈しているところに新会員の申込があり、しばらく振りに会に復帰して下さる方もありで地道ながら今も続いている。

何よりシャンティ国際ボランティア会を通じて行なっている「アジアに絵本を送る届ける運動」も継続できているのが有り難い。

会員が分担して訳文シールを貼って仕上げていく地道な作業に、力を惜しまずご協力頂けることに感謝しかない。

 

そんな中、長年、会を支えてきて下さっていた方々が「もう歳を取ってお役に立たなくなった」とよく言われるのだが、そんなことはないといつもお話ししている。

お寺がやろうとしていることに直接力を貸して下さることはもとより、賛同し応援して下さる方々がおられることは、本当に心丈夫だ。

婦人会OBとなられ、お寺の行事にも中々足を運べなくなったと嘆く方もあるが、そうした方々の温かな見守りの中で行事や活動を行えることに幸せを感じる。

 

「たき火」という歌がある。

あの歌を聴くと何だか懐かしく、こころが和む。

落ち葉を集め、たき火をたく。火は赤く燃え、北風が吹くけれど、かざす手も心も温かくぬくもっていく。その光景が歌の中で浮かび上がっていくような曲だ。

この歌が何故温かな印象を与えるのかというと、たき火がパチパチと燃える情景もさることながら、そのたき火を囲んで人が集まり、たぶん集まった人達が何らかの会話をし、寛いでいる間に心も温まっていっていくのを想像するからだろう。

一方的ではなく、たき火を介しての交流が生まれていくことが、この歌の温かさに繋がってくのだ。

お寺は、一方的なもの、場所ではない。

お寺というたき火に手をかざし、談笑し、その輪が拡がって、みんなの心がほぐれていく。

そういう存在であることを目指しながら、今年一年のスタートを切る。

「あたろうか、あたろうよ、そうだんしながらあるいてる♬」


その先に憩いの場所があることを願いつつ。