『縁は頂くもの、縁は育てるもの』
と教えて下さったのは、亡くなられた酒井大岳先生だった。
お寺の講話会の中で口にされたこの言葉に感動して、即、掲示板のことばとして使わせて頂きたいとお願いしたところ快諾を頂き、早速、掲示板にそのことばを掲示した。
縁というものは、ひょっこり巡り会えるときもあれば、願っても、願っても叶わないときもある。
そうかと思えば、折角いただいたご縁を粗末にして、いつの間にか疎遠になってしまい後悔することもある。
まめでない私は、このパターンが多い。
随分ご無沙汰をしてしまい、今更『お久し振りです』などと連絡を取るのは都合が良すぎるだろう、突然、電話なんかすれば『変な人だなあ』と思われるかもしれない。
何より一番怖いのは、連絡を取ってみたけれど『あなた、どなたでしたっけ?』といわれるのが情けない。
だから、もっとこまめに人との繋がりを保つようにするべきだろうと思うのに、手紙を書くのが億劫で、ついつい後回しにするうちに縁が遠のいてしまう。
「縁は育てるもの」
だからこそ、このことばが胸に響いた。
先日、親しい友人を見送った。
友人というには恐れ多いくらいの大人で、でも、やはり自分にとって大事な年上の心友だった。
今こうして、振り返りながら書いていると、様々なことが思い出されて少し辛い。
インドの佛跡巡拝旅行が切っ掛けで、数えてみると35年くらいの付き合いになることに改めて驚く。
その長い月日の中で縁の糸が切れずに保てたのは、ひとえに彼の温かさだった。
いつも身近で冗談を言いながら何でも相談できて、お互いのお寺のことを話し合ってアイデアを出し合ったり、他では言えない悩みを打ち明けたり、先の夢を語り合ったりした。
知り合った頃は小さなお寺だったのに、住職として頑張ってきて、お寺はどんどん大きくなった。薬師寺を再建した西岡常一棟梁の弟子である小川三夫棟梁に依頼して寺院を建立し直したころには、堂々とした住職振りだった。それでも相変わらず、軽口を言い、気軽に門徒の方々と話し、親しさを失わなかったことは彼らしく見事だった。
「癌なんだ」
と告げられたとき、電話の声が遠くに聞こえた。
でも、初期だったからラッキーだったよと話す友人に「良かったじゃない」と軽く返して深刻に受け取らないように事実を遠ざけた。
まさか、ということばが不安に思う気持ちをごまかしていった。
広島と浜松という距離の中、「今度行くから」という私と、「宮島に女房と行きたいから寄るよ」という空手形の言葉が盛んに取り交わされる中、月日が経ち、先日、突然、亡くなったという知らせを受けた。
嗚呼という言葉しか出なかった。
大事な人を失ったときは、いつもそうだ。
あの時、ああしておけば良かった。
もっと出来ることがあったんじゃないか。
なぜ思ったときに即、行動しなかったのだろうか。
また・・・何もしなかった。
きっと友人は、そんな私を見て言っているだろうと思う。
「完璧なんてないよ。なんでも途中で終わってしまうもんですよ。じゃ、またね」
縁は頂くもの。縁は育てるもの。
気が付けば頂いたご縁が、温かく掌の中に残っていた。