アジア祭りが無事に終わり、ほっとしている。

お寺の中でのボランティア活動の紹介とシャンティ国際ボランティア会が行なっている絵本を届ける運動を解説しながら、最後は日本の絵本にインドシナの言語が書かれた訳文シールを貼っていく作業を参加者の皆さまに体験して頂く。

そして、ボランティアを体験して頂いたご褒美として、佛教で言うところの法楽として、柳家さん喬師匠の落語を味わってもらって閉会となる。

今年、ボランティア紹介の中で「クラフト」とシャンティで呼ばれているアジアの手芸品についても紹介をさせて頂いた。

モン族の刺繍。

山岳民族・モン族の人々の牧歌的な刺繍の作品だ。山羊や鶏を飼い、畑で作物を育て民族衣装を着て生活している人々の日常が描かれている。この平凡な生活が一変し、戦乱に巻き込まれ、難民として逃れていくときの出来事を表した刺繍のタペストリーを初めて見たとき、その刺繍の中に組み込まれた事実に私は気が付かなかった。

いつものようなカラフルな色に牧歌的な生活。

只、それだけを描いた絵巻物だと思った。

「なんとも牧歌的なタペストリーですねえ』という私に傍らに立っていた男性が

『そうですか?もう一度、よく見て下さい』

と微笑んだ。

再度、タペストリーを眺めると、山村の生活を描いた部分に始まって、山裾に目を移すと大河が広がっている。ごうごうと流れる水の中に丸太が3本。

山から切り出した木材を運んでいるのかと思っていたら、丸太の近くでは、溺れている人もいる。

『モンは山岳民族です。だから、泳ぎを知らないのです』

泳ぎを知らなくても、助かるには大河を渡っていかなければならない。

やっと、辿り着いた岸では入国審査が始まり、空にはヘリコプターが飛び、バスに乗って移動する人、そして飛行機に乗って第3国へ逃れていく人。

モン族の波瀾万丈の民族の歴史が描かれた大きなタペストリーの前に私は立っていたことをその時、初めて気が付いた。

モンの女性は、刺繍が達者でなければならない。

小さな時から針を持ち、花嫁衣装も自分で刺繍をしていくのだと聞いた。

家畜を飼い、畑を耕し、刺繍をして日々のたつきにしていた平凡な毎日。

それが戦争で一変する。

私たちも、彼らも、平凡な日々の暮らしの中で、別にそれが特別なこと、無上に大事なことであるとは全く意識していない。

変わらない日々を、ただ単純に生きている。

それが、失うことによって、如何に大事なことであったのか気が付くというのはなんともやるせない思いだ。

本当に大事なもの、価値あるものは、平凡で、なんということもなくて、無造作に置かれて、どこにでもありそうな、そんなものではないだろうか。

存在すら忘れられ、眠るように静かだったそれが、出逢う人によって、輝き始め、真価を発揮するー 「大事なもの」

それは、きっと、自分の内、自分の周りに今、静かに存在しているに違いない。