12月佛教講話会のご報告
【日時】12月1日(木)午後7時~
【講師】枡野 俊明老師
横浜市 曹洞宗徳雄山 建功寺住職・多摩美術大学教授・作庭家
【演題】「心を整える」
現代は、あらゆるものがネットで検索出来、即、調べることが出来る。
しかし情報が多過ぎると、その中から何を選択すべきか判断がしにくくなる。
結果、情報過多の現代.は多くの「迷い」を生み出している。
同時にその便利さは、人間の能力を失わせていく一面があることを心に留めておかなければならない。
即、判る情報は、即、消えてしまう。
反対に身体を通して経験し、模索し、失敗を繰り返して学んだものは深く記憶に残る。
コロナ禍になり、仕事の仕方も変わった。
オンラインで仕事をこなしていくようになると、総て「自分のみで」解決しなければならなくなり、ここ数年自死を選ぶ人が増えてしまったのは大きな問題だ。
佛教には「而今(にこん)」という言葉ある。
過去・現在・未来というけれど、私たちは過去に生きているわけでもなく、未来に生きているわけでもない。
只、今、この瞬間、この「今」に生きている。
これを佛教では「而今(にこん)」という。
今、何をしなければならないのか。
過去に過ちをしたのなら、問題点をみつけ、それが納得できたら次に同じ失敗をしなればいいだけ。そして過去に縛られることなく忘れ去る。
今、私は何をすべきか。今という瞬間を必死で生きていくということに尽きる。
それでも自分の中にある鏡は曇ってくる。それは、自我というこころの体脂肪が付くからだ。
我欲、もっと、もっとという欲望が生きている限り起きる。
それを払拭せよと佛教の教えは説く。
自分のこころの鏡を常に磨き、我欲という体脂肪をきれいに拭き取り、浄めていく。
拭き清めるためには、生活に「たが」をはめる。
規則正しい生活。
自分の中で、「こんな生活をしていくのだ」という自分のルールを作る。
それが生活に「たが」をはめることになる。
例えば、自分は身も心も鍛えていくという決心で「そうじ」を行う。
佛教でいう「善因善果、悪因悪果」ということの善因は、その積み重ねが人生を形作っていくのだ。
自分の人生は、自分だけのもの。
他と比べることはない。
縁あるものを頂き、他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べることによって、昨日より今日の自分を育てて行くことに通じていく。
「日々是好日」
雨の日は、雨の日でよし。
晴れの日は、晴れの日でよし
嬉しいとき、辛いとき、様々なことがあるけれど、それだからこそ自分のこころが育てられる。人生では、すべてかけがえのない一日なのだ。
「分別」という言葉は一般的によい意味に捉えられているが、佛教では他と比べて判断するという「分別」のような二次元的思考を禅では行わない。
比較は他との差しか見ない。
自分をしっかりと見詰め、生き苦しさを招く「分別」ではなく、当たり前のことを、当たり前に。自分のやるべきこと、本分を在りのままを生きる。
それが禅の考え方、捉え方なのだ。