3月佛教講話会ご報告
全世界は心―「三介唯心」の巻
人の価値とは、その人の生き方によって決まる。
自由、平等を最初に明確に言われたのがお釈迦さまだった。
では、正しい生き方とは、どういったものなのだろうか。
それは、心を整えるということ。
佛教は身体を鍛え苦行するという修行ではなく、心を整えていくことこそもっとも大事なことだと説く。
この「心」は「こころ」とは読まず、「シン」と読む。
自分と人とは同じものを見ながら、同じようには観ていない。私達は、それぞれ己の持つ能力の範囲内で見たり聞いたり感じたことを正しいと感じ、真実であると認識しているが、それは真実のほんの一部でしかない。自分の意識の中で物事を認識し、分別、思惟することから離れ、森羅万象総ての存在を受け入れたとき、それら心の奥を含めた総てのことを「シン」という。
己を含めて総てが「シン」となれば、自分の人生の苦を含めた事実も受け入れる。
それが、心を整えるということになる。生きていく上で苦は決してなくなることはなく、どんな人でも苦と対峙しなければならない。
苦からの解放とは、苦というものは無くなることがないと「諦観」することにより、はっきりとその事実を見つめ、苦を抱えながら生きていくことを覚悟する。
それが苦から解放されるということに繋がっていく。
最近問題となっていることにキラーストレスの問題がある。
苦から逃げられず、息詰まって自ら死を選ぶ。
そのキラーストレスから、自分をどう守るか。
その痛みを和らげる方法を日頃から考え、自分なりの方法を探しておくことも大切だ。
人は、ひとりでは生きていけない。苦の中に生きながら人の繋がりに助けられたり、助けたりしながら人生を営んでいく。
さて、初めに取り上げたように人は自分の感覚内でしか物事を判断することが出来ない。
この習性は治らない。しかし、それを意識し、自分と違う考えや意見も受け入れる、多様性を受け入れていくことを心掛ければ苦から解放される。
それぞれに違う存在、それぞれに違った考え方を持っていることを認め、「今が一番」と思いながら生きる。自分の心の持ち方で人生は開かれていく。
佛の住む世界とは、今、自分が生きている世界が楽土、佛の世界と認識することこそが自らを苦から解放することに繋がっていく。