10月佛教講話会のご報告

佐藤 達全 先生

【佐藤達全先生の佛教講話会より】

人にとって「気づく」ということは、人生を方向付ける大きな転機になります。

私にとってロボット工学の第一人者である森政弘先生との出逢いが、それでした。

大学時代、先生のお話を伺って佛教と教育、そして人の生き方についての私の考察が始まったのです。

この出会いがなかったら、私の「それから」は始まらなかったわけですから出会いとは不思議なものです。

それから、私の佛教を見つめる眼差しが変わっていきました。

大学を卒業し、短期大学の教師と僧侶としての生活が始まったのですが、あるとき、近くの小学校に坐禅指導を頼まれました。

「友だちの名前を呼ぶときに、息を吸いながら呼ぶ人はいませんか」

私の問い掛けに、子どもたちは息を吸いながら名前を呼ぼうとしましたが、勿論、誰一人まともに声を出すことは出来ませんでした。
「呼ぶ」という字は「息をはく」という意味で、呼吸というのは「息をはくことと吸うこと」なのです。
実は、この呼吸のリズムこそ佛教の教えの根本です。

坐禅は吐くことから始まります。生命のリズムは二拍子です。

何事も一所懸命やることは大事なことですが、やり過ぎると体調を崩す元になります。
息をはき、息を吸うように緊張と弛緩のリズムが生きていく上で大事になってきます。
医師である鎌田實先生が「がんばらないけど、あきらめない」と言っておられますが、頑張って頑張って引っ張りすぎると、紐は切れてしまいます。
正に努力するけれど、無理しないということが大事であり、時に緩めることが大切なのです。
その自分なりのバランスをとっていくこと、自分の良い加減を見つけていく、この考えは佛教で言う「中道」の教えに共通するものでもあります。
生命とは、生まれてから死ぬまでの自分の自由に使える時間です。その時間をどう使うか、何をみつけるか、その点を大事に考える。

自分が生きるためには他の人の存在が必要です。
自分だけが良くても駄目、周りの様々ないのちと共生しながら生きること。

今。

「諸法無我、諸行無常」

良い「今」を過ごしていきましょう。

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