子どもの頃の私は、友達がたくさんいたわけでもなく、ひとり、ふたりの友人がいればそれで満足するというタイプだった。

クラスメートの誰とでも話をし、積極的に関わっていこうという気持ちはなかったと思う。

小さな池の中で、ちゃぷちゃぷと遊んでいる方が気楽で人のことを構いもしないが、構われたくもないという気持ちがあったのだろうかと、子どもの頃の心情を想像する。

歳を重ねて、基本的にその性格は今も変わらないと思うけれど、先日、ふと思えばいろんな人たちに支えて頂きながら今があるのだということをしみじみと思った。

そんな当たり前のことを分かっていたようで、分かっていなかったのだと恥ずかしくなる。

 

生きているということは、人と関わるということ。

歳を重ねれば重ねるほど、交友関係が狭くてもそれなりにいろんな人たちと接し、いろんな人たちのお陰に支えられて生きている。

ここ数年、不思議なのだが旧い友人たちとの再会が続いた。

幼馴染み、幼稚園時代の友だち、高校時代に親しかった年上の友人、意気投合していろんなことを一緒にやっていた友人。

そんな人たちがポツ、ポツっと私の人生の地図上に再び現れた。

すると不思議なもので長い時間の隔たりなどなかったように寛いで接している自分がいる。

遠慮なく話し、遠慮なく行為に甘え、友人たちの手助けを借りながら、止まっていた縁の糸車が再び回り始めた。

自立とよく言うけれど、人は決して自らの力で立っているのではないと思う。

立たせてもらっているのだと思う。

そして、至らない部分も含めて許して頂きながら、それを受け入れて支えてくれている人たちがいることを忘れずにいたいと思う。

 

春。

新しい一歩を踏み出す人が多くいるこの季節。

その一歩を後押ししながら支えてくれている人のいることを忘れないでほしい。

そしてこの先の未来にも、きっと多くの人たちの見守りがあることを祈らずにはおれない。

よき出逢いを。

辶の二つの点。

生きていくということは、この二つの点の出逢いから始まる。

平凡な日常生活の中でも、新生活のスタートでも、小さな出逢いを大事に育てながら、育てられながら、日々を繋いでいくことに大事なことが詰まっている。

何気ない一歩と思えたことが、実は大きな一歩へと繋がって行く点に成長していくかもしれない。

嗚呼、人生ってなんて面白いんだ。

人生の贈り物を受け取って、そう思える日々が多いことを願う。