11月佛教講話会のご報告
枡野俊明老師 十牛図シリーズ3 「あなたの牛を追いなさい」より
人生の中で一番の眼目は、自分の中に在る「もう一人の自分」に気づくことです。
自我は、自分の我が儘や、利己的なものが入っている俗世界の私。
気づけば佛、気づかなければ凡夫のままです。
清らかな本来の自己、佛性である自己に気づくことです。
この自分の中にあるもう一人の自分に出逢う旅が十牛図なのです。
さて、もう一人の自分とは、父母未生以前の自己という意味ですが、私たちに宿っているいのちは、自分だけのものではありません。
ご先祖様に代々引き継がれてきた「いのち」の先にいる自分が、今の私です。
したがって自分一人の「いのち」ではなく、ご先祖様からの授かりものなのだという意識を持つことが大事です。
さて、清らかな自己を持つためには規則正しい生活、正しい拠り所を持つことです。
誰しもが凡夫なのだけれども、それをその儘にするのではなく、気づいて正そうとする。
自分の中で自問自答をくりかえし修正していくことが大事であり、それが生きていくことなのです。
悟りがあるから、迷いがあり、迷いがあるから悟りがある。
美醜か、損か得か、二つの内どっちかという単純な二元論ではなく、揺れ動きながら生きているのが私たちです。
そのあたりを十牛図では、どう表しているのかというと、十牛図の第六では、真理を追い求めていたことすらも忘れ、意識しないでも、自我をコントロールしなくても、自由に本来の自己に戻って生きていくことが出来るようになる姿が描かれます。真理は外にあるのではなく、既に自分はその中にいるのです。
第七 「たづなを手放す」
既に自我も本来の自己も手放している姿です。
第八 「円相」
完全なる悟りの世界。円の一点が、自分。その一点が欠けてしまうと円そのものが消滅してしまう。ひとり一人が掛け替えのない存在なのだということです。
人は得てして、自分の得になることを選ぼうとします。
雲のように変幻自在に自分の姿を変えて変化しながら、調和し、存在し続ける。それが人としての理想の姿です。
同じ景色でも、こころの有り様によって様々な姿に見えます。こころが平安になれば、同じ景色が心境に関係なく、苦しかろうが、辛かろうが、美しい景色に見えてくる。
「利行」
世の中の為に何をするか。
お役に立つことをしようと思うこと、それは「生かされていること」という意識が芽生えないと生まれてきません。
「迷ったら、他人に聞くのではなく、本来の自分に聞く」
本来の自分に出逢う旅、それが十牛図の示す生きるということなのです。