テレビ番組を観ながら心が揺さぶれるほど感動していた。

すると、

「あ、これ前観たねえ」

と、家族のひと言。

「え!そうだっけ?そういえば観たような気がするし、初めてのような気もする」

思い出せない。

でも、観たらしい。

NHKの朝ドラにしても、毎日楽しみにかじりつくようにして観ていたくせに次のドラマが始まると前の主題曲は、どんなメロディだったろうかと思い出せなくなっていることに我がことながら毎回驚く。

記憶し続けるには、自分の記憶の皿は深さが決まっているので次の記憶を入れるためには旧い記憶を捨てなければならない。そこへ新しい記憶が入るのだと、養老孟司先生の著書に書かれてあったような気がする。

忘れていく記憶を忘れてはならじと必死にすがりつくから、苦しみや悩みが生まれる。

人間、忘れることもあるさと腹を括れば良いのだ。

過去に観ていたドラマを毎回初めてみたように新鮮な気持ちで観ている。

いやあ、感動するなあと、同じ所で感動し、涙を流し、ドキドキしている。

良いではないか、いつも新鮮。毎回が初めて。

 

道でバッタリ旧い知り合いに出逢う。

『いやあ久し振り』

と言って立ち話をしながら、相手の名前が出てこない。

「ハ、ハ、ハ」と「へえー」で会話を繋ぐが、内心はそれどころではなく必死で名前を思い出そうとしている。

が思い出せないまま、「じゃ、またね。お元気で」なんて言いながら別れて、床につく頃になって「あ!そうだ」とやっと自分の中の記憶に辿り着く。

そんな自分を困ったもんだなあと思いながら、ふと母のことを思い出す。

『今年、何歳になった?』

と聞くと、「んー、何歳だったかしら。分からなくなった」

と笑っていた。

自分の年齢を忘れてしまうだなんて信じられないと、その時は思ったけれど、今自分も段々そうなってきている。

いや忘れるというのではなく、もうそんなことどうでも良いのだという気持ちになる。

そんなことにこだわるより、もっと大事なことが他にあるだろうという思いが強くなった。

歳を重ね記憶が曖昧になり、物忘れがひどくなるというのは困った問題ではあるが、先のことを心配していても仕方がない。

今、今のこと。目の前のことに一所懸命に取り組み、大事に過ごして生きていることを満喫する。それが一番なのだと、朝、鏡に映った寝ぼけ眼の自分の顔をみつめながら声を掛ける。

「おはよう!今日も上々!」