鋭敏で目指していることへ一直線で辿り着くことが出来る人と、不器用で、いろいろ紆余曲折し、あっちこっちぶつかりながら結局目的が果たせなかった人と、生き方のスタイルには二つあると思う。
一昔前に流行った言葉で『勝ち組』『負け組』という流行語があった。
目的を達成した人は『勝ち組』
果たせなかった人は『負け組』
世間から簡単に色分けされてしまうのだろうか。
そして苦労したにも拘わらず目的が果たせなかった人は、それまでの時間が無駄だったのか。
いらない苦労をしたというのだろうか。
それは本人自身が考えることではあるけれど、決して無駄ではなかったと思う。
『無駄な努力』という言葉があるけれど、本当に無駄な努力ということがあるのだろうかと、ふと疑問に思う。
確かに目的は果たせなかった。
それは残念なことだ。
でも、それまで積み重ねてきたこと。
あっちこっち寄り道して、ぶつかって、考えたり、悩んだり、止めてしまおうかと挫けそうになったとき何に励ませされたのか。何に慰められ、支えられてきたのか。
友人か、家族か、それとも本や映画か。
行き詰まっているときに励まされた言葉や人がきっとあったはずだ。
それは目的に向かって迷わずにまっすぐ行っていたとしたら、きっと出逢わなかった、気が付かなかった人と思いだっただろう。
悩むことによって、躓くことによって、気付いたことや人間関係が深まったこともあるだろう。
生きていく中で無駄なことは一つもない。
何かがきっと自分の中に残っている。
それは、今は気が付かないかもしれない。
萌芽を抱えながらも気が付かないでコンプレックスだけが残っているような気がしているかもしれない。
でも、いつか自分の中に芽生えた「もの」に気が付くことだろう。
目的は果たせなかった。
でも迷った道で何かに出会い、自分では気が付かなかった新しいものを発見しているかもしれない。
生きていくということは、傷を受けないで進んで行くことは出来ない。
傷を受けながら、痛みを感じながら、自分の中に芽生えていくものに感謝しながら進む内に萌芽はきっと開いていく。
無駄な努力などというものは、一つとしてないのだ。
歩いてきた道の軌跡は、自分の中にしっかりと刻まれている。
それを信じて歩き続けることが、生きていくということなのだと思う。