人を羨ましく思うという気持ちは、なかなかぬぐえないものだ。
それが凝り固まってコンプレックスになってしまうことがあるし、逆に自分の中に生まれたそのコンプレックスをバネに立ち上がっていく人もいる。
随分以前のことになるが、『チャングムの誓い』という韓流ドラマがあった。
当時、韓流ブームの波の中で放送され人気だったドラマだが、忘れられないシーンが数々ある。
課題の料理に合わない肉を材料として選ばざるを得ない状況の中で、主人公であるチャングムは見事、固い肉の性質を逆手に取って課題をクリアしていく。

つい私などは人の持っているものを見て、「ああ、あれを使えば私でももっと上手く出来るのに」と羨んで、自分の持ち手のものをつまらなく思ってしまう。
しかし、現実に無いものはないのだから仕方がない。
あっちだったら出来たのに、これではとても無理だではなく、今置かれている現実の中で如何に工夫するか、最大限に自分の持っているものを生かし切ることが一番大事なのだ、とは思う。
とは思うものの人はそんなに強くはない。
つい、あっちだったらなあと心の中でつぶやいている。

けれども、あっちだったらと思った瞬間、自分は今の現実から逃げている。
その間は何もうまくいかない。
逃げたその瞬間から出来ない言い訳を自分の中で次々としていかなければならなくなる。
現実を見据え、受け止めていくことは確かに辛く勇気がいることだ。
しかし、もし逃げないで工夫をして今の現実を変えていくことが出来たならば、それは次に進むエネルギーになる。
自分で自分を喜ばしめ、鼓舞し、未来という目に見えない何かに向かっての勇気になるだろう。

一方でひとりの人間の能力には限界がある。
自分ひとりでは開けられないドアもあるだろう。
しかし、愚直に、たゆまず歩き続けておりさえすれば、それが波動となり共感してくれる人と出逢い、それが縁となり、新しい繋がりへと導いていくと信じたい。
自分を生かし切り、歩き続けておりさえすれば、自分だけでは開けられなかった未来を共に拓いていく仲間をみつけていく大きな一歩へとなっていくのではないか。

「人間の能力は、海面に浮き出ている氷山の一角のようなもので、水面下に巨大な裾野を隠している」といったのは作家の宇野千代だった。
限度のある中で得意なものを生かしきれば、それに派生して眠っている何かが動きは始める。
出来なくて行き詰ってしまえば、不器用な自分の姿をさらして周囲に助けてもらえばいいじゃないか。
カッコよくではなく、カッコ悪くても、あがいても自分の持っているものを最大限に使い切る。
そして続けていくこと。
芽吹きは、その一歩から始まるのだから。