朝ドラを毎日楽しみに観ている。
主人公の女優さんは言わずもがなだが、ドラマは、脇を固める俳優さんにどんな人達が出演するのかというのがとても楽しみだ。
勝手なもので、自分の好みが最優先する。
自分のイメージ通りの俳優さんが演じていると「よしよし」と思うし、反対に、全く予想もしなかった配役がされていると「事務所の力か・・」と勝手に想像して落胆したり。
今回のドラマも個性豊かなそうそうたるメンバーが脇を固め、主人公を盛り立ててドラマが進んでいる。

最初の舞台は東北、宮城。
漁業の町、気仙沼と林業が盛んな登米という土地からドラマは始まる。
震災でこころに傷を受けた主人公が登米に移り、地元の人々との触れ合いの中で自分の行くべき道を見つけ、東京へと舞台は移っていく。
その別れの朝、主人公を見守って来た夏木マリが演じる女性が、天に向かって言うセリフが圧巻だった。
「あの子に良い未来を」
たったその一言だったが、とても存在感のある台詞だった。

人のことを祈る。
人に祈られている自分。
祈りということが、こんなにも人のこころに響くものなのかと驚いた。
何の欲もない。
ただひたすら、人の幸せを祈る。
自分が生きている陰で、こうして祈ってくれている人が、もしかしたらいるのではないか。
ふと、そんなことを思った。

ドラマでは、夏木マリ演じる女性だけでなく、職場の仲間、街の人々、家族、友人、多くの人が主人公を思い、彼女の良き未来を祈っている。
ナレーションは亡くなった祖母を演じた竹下景子なので、ドラマの中では、あの世から祖母の見守りの中で主人公は日々を送っているという設定にもなっている。
しかし考えてみればドラマだけでなく、たぶん私の周りにも、夏木マリが演じた女性のような人がおり、自分では気が付かないけれど、きっとそういう人たちの思いや、あの世からの見守りに支えられて私は今、人生への一歩は踏み出すことが出来ているのかもしれない。
家族、友人、知人、近所の方々、日々関わっている人々の祈りの中で、そして今は亡き人々の見守りの中で、私のいのちは営まれていると考えると生きるということは何という壮大なことなのだろうか。
見えない思いや、祈り。
そこに込められた願いを受けとめながら力まず、悩みながら、自分らしいリズムで歩き続けていきたいものだと思う。