7月佛教講話会のご報告
【講 師】 枡野 俊明老師
【演 題】 『 現代にいかす禅 その2 』
行で修めて、自分の身体で感じ取ることは佛教、禅の神髄です。
そして、その時に会得したものと共に生活していこうというのが禅です。
現代、情報の新陳代謝の激しい時代を迎え、その為にたくさんの人々が精神的なストレスを抱えて生きています。
それでは、穏やかに生きていく為にはどうすればいいのか。
キーワードは、結果を求めないということです。
人は、行なったことの結果を求め、その評価を気にします。
仕事の業績が上がれば、会社の評価も上がり、収入の増加につながる。
そうした欲がつい頭をもたげ、その欲に振り回されて、結果の良し悪しで悩むわけです。
しかし、禅的な生き方は、結果の良し悪しに執着せず、とにかく自分の出来ることを一所懸命やることの「今」に専念する。
無我と佛教では言いますが、無欲の世界です。
無欲は、意欲がないということではなく、自分の進むべき方向をはっきりと見定め、そこに向かって「今」を大事にひたすら進んでいこうとすることです。
もはや結果を気にすることなく、自分の行為と目的が一緒になって只、楽しむ。
それが「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅の境地です。
我欲から解放されることによって、こころ穏やかに暮らしていくことが出来るのです。
「執着から離れる」ということは、とても大事なことです。
それは、自分の心を解放していくことに繋がっていきます。
自分の弱点を明らかにすることで、こころを穏やかに保つ。
何でも「損をした」という意識を持っている限り、負の出逢いをプラスに転じていくことは出来ません。
善因善果 悪因悪果
「因」はチャンス。
「負」のチャンスこそ、それをどう転じていくのか。
執着に捉われ、怒りに心を惑わされ、心が振り回されて生きていくのではなく、その時こそ、誠意をもって行動し、負を善に転じていくことこそ「こころ穏やかに生きていく」ということに通じていくのです。
そのこころを、感情に振り回されず、整えていくには、呼吸が重要なポイントとなります。
「調身・調息・調心(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)」
身体と呼吸と、心を整えていくことは禅の根幹の教えです。
この3つを整えていけば、こころは感情に振り回されないようになるのです。
感情から解放されたこころは、融通無碍(ゆうずうむげ)で、冷静な判断が出来るようになり、とらわれない自由を生きていくことが出来るようになります。
禅的な生き方とは、正に自由な生き方なのです。