11月佛教講話会ご報告
【講師】枡野 俊明老師
【演題】「あなたの牛を追いなさい」
十牛図は悟りに至る道のりを10枚の画で表しています。
牛は、インドでは聖なる生き物とされ、十牛図で描かれている「牛」は「真実の私」を表しています。
お釈迦さま、ゴータマ・ブッダの「ゴータマ」とは、最上の牛を持った人という意味ですが、十牛図では、ひとりの牧人がその「真実の私」である牛を追い続けていく様子が描かれます。
では「真実の私」とは何なのか。
佛であり、佛性といわれるものは自分の中にあって、自分の外にあるものではありません。
禅宗の修行である坐禅の「坐」という字は、土の上に坐って向かい合うふたりの人を表しています。
これは「今の自分」と「真実の私」、佛性である私なのです。
十牛図は、この自分の中に既に存在している佛性としての「私」に出逢うための旅なのです。佛性を求め、佛道に目覚めることを「発心」といいます。
「法」とは世の中の真理、その法に従って生きていくことを説かれたものが「佛法」
発心とは、その法に沿った生き方をしていこうと決心することです。
禅語に「薫習(くんじゅう)」という言葉があります。
霧の中を歩いていると自然に衣が濡れ、薫りも移るというように、良き師に出逢うことにより、師匠の立ち居振る舞いや考え方、言葉遣いが、自分にもいつの間にか染みついていくのです。十牛図の牧人も牛を探して林を歩く内に、この「薫習」を体験していきます。そしてやっと牛の姿をチラリと見ることが出来ました。牛という私たちの「いのち」の働きのことが少しだけ見えた瞬間のシーンが「見牛(けんぎゅう)」のシーンです。
海水の中で生活していると水に塩分が含まれていることに気が付きません。本来、自身に備わっているものがあるけれども「証せざればあらわれず」のごとく、その気付きを得る、牛を見つけるには修行を行わなければ見えて来ないのです。
佛教は、理論ではなく、実践を佛教は重んじます。
生活にたがをはめ、決められたことを粛々と行い続けることで自分を育てていけば、自分の中にある「本来の自分」に辿り着くことが出来るのです。
自我をコントロールし、日々の鍛錬を規則正しい生活の中で育てていくことが牛を追うということなのです。