3月神應院佛教講話会のご報告

角田 泰隆 老師

【日時】 令和7年3月1日(土)

【講師】 駒澤大学教授 角田泰隆老師

【演題】 道元『正法眼蔵』を読む「坐禅の心得と作法」~坐禅儀の巻

 

曹洞宗では、坐禅をするだけが坐禅ではなく、食事をすること、歩くこと、生きて行なっていること総てが坐禅であると捉えていますが、中心としての教えが坐禅、つまり坐ることが第一の修行なのです。

先ず、坐禅を行うには『静かな場所』を選ぶことが大事です。

静かな場所で坐っていると、感覚が鋭敏になり、今まで気が付かなかった音も聞こえてくるようになりますが、だからといって音に引きずられない。聞こえるがままにしておくのです。雨風が入ってこない、静かに坐ることができる場所を選ぶことも大事です。

澤木興道老師は「坐禅というものは人間のためにするのではない。佛の行いである」と説かれたように、坐禅は、悟りの境地を得ようとか、無心になろうとか何かの目的で行なうのではなく、ただ坐ることが大事。目的のために坐るという打算的なものであってはならないのです。人は生きている限り様々なことが頭に浮かびますが、浮かんで来たことを捉えて追求しない。思いを巡らさないで放っておくことが坐禅では大事です。この点が『無念無想』と大きく違うところです。また「作佛」という言葉がありますが坐禅をすることによって佛になるという考えは、これも又違います。作佛ではなく『行佛』、佛を行ずる。坐禅をしていると、いつのまにか佛になっているので改めて佛になる必要はないのだというのが曹洞宗の教えです。

- ただ坐る -

何もかも拘りを放棄し、身を任せて坐っているといつのまにか皆、佛になっているのです。

澤木興道老師は、『坐禅をすると何になるのか』と聞かれると、

『何もならん!』と答えたそうです。『何もならん』とは、ほんとうに何にもならないというのではなく、“あなたの欲求を満たすためにするのなら、やめなさい”ということです。坐禅を何か坐禅以外の目的のためにしようと思うな、それが『只管打坐』「ただ坐る」ということで、ここが肝心なところです。

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