5月佛教講話会のご報告

三部義道老師『六波羅蜜』に学ぶ
その1「布施」


六波羅蜜の「波羅蜜」は、サンスクリット語のパーラーミタを音写したものです。

どういう意味かというと、「到彼岸(とうひがん)」という意味です。

我々が生きている苦の世界である娑婆の世界から佛の世界へ渡っていくという意味なのです。

岸という言葉で表わされているとおり、佛の世界と娑婆の世界との間には川が流れていて

そこを渡って佛の世界へと行くというわけです。

では佛様は、彼岸という悟りの世界から、煩悩の世界で苦しんでいる私たちを眺めていて『こっちに来い、こっちに来い』とただ手招きしておられるだけなのでしょうか。

私は、そうではないと思うのです。

佛教には「自未得度先度他」という言葉があります。

己、未だ渡らざる先に他を渡らしめるという意味ですが、苦の世界で苦しんでいる人々を救うため、菩薩様は佛の世界である彼岸へは渡らず、苦しんでいる人々を先ず救って彼岸へと渡す。此岸の中で悩んで、苦しんでいる人の背中を押して下さるのが菩薩様、佛様なのです。佛様、菩薩様とは、何処かにおられるのではなく、常に我々と共におられるということなのです。そして更にいえば、私たち自身が佛であり、菩薩なのだということなのではないでしょうか。

此岸から彼岸へ。

佛の世界へ渡っていくためには、私たちが娑婆世界の中で、どういう行いするのかというと、それは6つの船に乗ることだと説かれています。

その6つの船とは、「布施(ふせ)」「持戒(じかい)』「忍辱(にんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智恵(ちえ)」

菩薩様は、この6つの船にのって私たちが彼岸へ渡られるように後押しして下さるのです。

では一つめ、「布施」とは、いったいどういうことをするのでしょうか。

布施とは自分の行いです。

知っていること、知識を惜しみなく人に教えることも布施になります。

財施、金銭的に持っている財産を与えることも布施になります。

けれども、「無財の七施」という教えがあります。

金銭的なものでなくても、例えば、電車で席を譲る、窓を開けて風を入れる。

眼差しも「慈眼(じげん)」という布施になります。

布施とは、自分自身の佇まい、行い総てのことを意味します。

生活そのものが、生き方そのものが「布施」なのです。