人は何故、ドラマを見て感動し涙するのだろうか。
NHKの朝ドラが後半に入り、今や佳境に差し掛かっている。
チキンラーメンの発明者、安藤百福氏をモデルにした実話が元になりドラマが構成されている。
観ている人はお分かりかと思うけれども、これほどまで波乱万丈な人生があるのだろうかと思うほど、びっくり箱をひっくり返したように次々と災難が降り掛かる。
その度に視聴者は、ハラハラして見守り、辛い立場に追い込まれた時には心配し、本人や周りの人たちの無念さを思いながら腹を立て、時に涙することさえある。
15分間、どっぷりとドラマの世界にハマってしまっている。

しかしながら、さんざん主人公やその人を取り巻く登場人物の人間関係に感動しながら、片方では、たかだか創り物のドラマじゃないかとも思う。
視聴率を得る為に、どうせ実話よりもっとドラマティックに盛り上げたストーリー展開になっているのだろう。
俳優陣の名演技に乗せられて、ついドラマに引き込まれてしまったけれど、実際、こんなにも人間関係に恵まれた人がいるものだろうか?
と疑い深く思ったりもする。

主人公が常に前向きで、明るく、挫けないで、幸せオーラを発揮して、どんどんと周りの人を人生応援団として引き付けていく姿を観ながら片方では感動しながらも、いや、待てよ、こんなに人は強くない。
自分をおとしめた相手を恨んだり、上手くいかない人生を呪って悪態をつき、癇癪を起したりするはずだ。
結局、実話といえどもどうせ成功して今や大企業と言われる会社の創業者の事なのだから、
盛り上げた挙句に心配しなくとも話は「めでたし、めでたし」で万事上手くいくようになっているのだと、こころの隅で思ってはいるものの、やはり、いつのまにか身を入れてテレビにかじりついてドラマに見入っている自分がいる。

なぜだろう?
他人の人生だから、ドラマだから観ていることが出来るというのも事実だけれども、画面を見ながら純粋に主人公たちの人生を応援している。
いろんなことがあったけれども、「がんばって!」「くじけないで!」「絶対に上手くいくようになるから」と祈りながら声援を送っている。
人は、確かに他人の成功を妬んだり、上手くいく人の横で落ち込んだり、人と比べてコンプレックスを持ったりする。
妬むというこころの問題は深い。
けれども、そんなこころに深い闇を持ちながらも片方では、純粋に人の幸せを祈り、辛い立場に追い込まれた人が立ち直って再び歩き始めるようにと励まし、声援を送ったりする
温かな思いも持つのも人だ。
両方併せ持った人のこころの複雑さをドラマを見ながら思った。

最近、辛い事件が続いた。
虐待による幼い子供の死亡。
東京オリンピック選手候補の池江璃花子選手の白血病報道にもこころが痛んだ。
けれども、一滴の水が落ちる度に多くの人々の善意の声が波紋のように拡がっていくのを見て人のこころの不思議さを思う。
負の行いも、正の行いも人間の行いであり。他人事ではなく、もしかしたら自分だってこころの持ちようで何をするかは分からない。
でも出来れば自分の中にある負のこころを認めながらも、コントロールしながら福ちゃんのように幸せオーラを出せる人でありたいと願う。