去年読んだ本の中で、とてもおもしろかったもの。
『雑草と楽しむ庭作り』という本。
行間に飄々とした著者であるご夫婦のお人柄が漂う感じがして、読んでいて「クスッ」と笑うことが多かった。
力みのない人の生き方とは、こういうことなのだろうかと読みながらつくづくと思った。
その中で、題名にした「びっくり鉢」というものが出てくる。

ご夫婦が小さな植木鉢にヒョイっと土を入れ、それを初めは販売しようと思っていたものの、単なる土が詰めてあるだけでは売り物にはならないと相手にされなかったというのだ。
けれども、この単なる土の中から雑草は生えてくる。
水をやり、時期になれば、単なる土の中から小さな芽が顔を覗かせ、可愛い花を咲かせる。
初めから山野草の鉢植えだと知っていて、その花が咲くことより、何があるか分からないが、まあ取り敢えず水をやろうかと思っていたら、あれあれ花が咲いたよという方が驚きは大きいのではないだろうか。
雑草の愛らしさ、美しさとの遭遇だ。
地球という大地が抱いている奇蹟を見るような感じだろうか。

「よく見れば なずな花咲く 垣根かな 芭蕉」
どんな所にも美しさは潜んでいる。
どんな事にも発見がある。
忙しさに紛れていると、ついそんなことは忘れているけれども、信号待ちの時、ふと見上げた夕暮れの美しさ。
朝、まだ人の通っていない桜並木の息をのむ見事さ。
人の所作やことばに表れる人柄という美。
自分は、どんなことに驚き、感動して、いくつの美を日常生活の中で見つけていくことが出来るのか。

テレビから流れて来る刺激的なものから感じるものではない、小さなささやきのような物事から汲み出してくるもの。
そこに耳を傾け、目を澄ます。
今年は、どんなことに出逢っていくのだろうか。
私のびっくり鉢。
ふかふかの黒い土から生まれてくる「何か」をワクワクしながら待っている。
私の中の美。
私が発見していくであろう美。
大事に抱えていく日々の生活の中から生まれてくる「何か」を今、私は待っている。