冬が終わり、春の到来で待ち遠しいのは草木の芽吹きだ。
冬の間、冷たい空気の中で彩りを添えてくれた椿が落ち始めると、樹下のあちらこちらから草花が芽吹き始める。
冷たく、堅い土の中から春の気配を感じるのか、土の温度が微妙に暖かくなるのか小さな突起が顔を覗き始める。
春は名のみで、まだ風は冷たいよ、まだだよと言いたいほどに冬の名残がある頃から、彼らの春は始まっている。
少し出てきた芽は、あっという間に茎が伸び、葉が育ち、分岐して蕾がたくさん付き始める。
毎年、この時期の植物の成長を眺めていると本当に驚いてしまう。
正に「眺めている」という趣で、何もせず自然の生命力の逞しさに唯々感心してしまう。
花の芽が育ち始めると同時に、今まで冬の寒さの中でおとなしくしていた雑草も一斉に活動を始める。
土をはうように広がって小さな花をつけるもの。
高く茎を伸ばして花をつけるもの。
株を張って横に広く成長するもの。
花の成長と競い合いながら小さな庭の中に拡がっていく。
その草の花の小さくて可愛いこと。
茎の先に紫の穂のような花が無数に付いているもの。
ホルンのような形の小さな花は、花弁の中に無数に点の模様まである。
葉の形も様々で、似たようでいて違う。
ギザギザの切り込みがある葉が段々スカートのように重なっているものや、ギザギザ葉が互生に付いているものもある。
雑草といえどもデザインから言うと、ガーデン植物と何ら変わらない凝った形をしているのを見て毎年春になると感心してしまう。
一体この雑草と、いわゆる園芸植物との線引きはどうやって引かれるのだろうか。
私から見ると雑草といえども全く遜色がなく思える。
眺める時間が長くなればなるほど、その姿形に感心して草抜きの手を止める。
結果的に私の小さな庭は家族からみると、雑草が生い茂る手入れの行き届いていない雑然とした景色に見えるらしい。
でも、まだ冷たい霜が降りる頃から、土に葉を広げ、蕾を付けている名もなきスミレやハハコグサ、ホトケノザ、ムラサキケマン、オオイヌノフグリなど雑草といわれる草花の健気な美しさは、他の園芸植物と変わらない愛おしさに満ちている。
こうして日を追うごとに冬の眠りから目覚め、命を開花させていく植物の姿を見ているのが春の私の楽しみだ。
とはいえ芽吹きを見て、すぐに花の名前が解るものと、群生して生え始めた葉を見てもこれは何の花だろうと恥ずかしながら解らないものもある。
あらかじめ植えるときには植物の名札を挿してはおくものの、地下茎でとんでもない所から芽を出して拡がっていく植物を見ていると新米庭師の私は解らなくなってしまう。
それでも成長するとどうなるのだろうと、姿形を想像して心待ちにしているのも又、楽しい。
生け花で活けた後、挿し木にして大きくなったものもある。
今年、心配だったものはヤマアジサイとユキヤナギ。
枯れたようになった枝からは何の反応もない。
既にほかの木々の芽吹きは始まっているというのに一向に芽が吹かない。
何が悪かったのだろう。水遣り?肥料?陽当たり?
考えるけれど思いつかない。
いったい樹に私は何か悪いことでもしたのだろうか。
3月末、ユキヤナギもヤマアジサイも小さな葉が芽吹いてきた。
去年から育て始めたクレマチス。
剪定が上手くいったか心配したけれども、こちらも芽吹きが始まって早くも蔓を巻き始めている。
春、久し振りに帰ってきた家族を迎える嬉しさを感じながら、毎日、庭仕事をしている。
冬の後の春の空気は柔らかい。
そう思っていた矢先、花粉症になる。
お客様のお土産なのだろうか。