人間関係は片思いに似ていると思う。
こちらは大切に思っているけれども、相手方はこちらが思うほど大事には思ってくれていなかったり・・・。
それなら自分はと言えば、相手が自分のことを思って大事にしてくれているのに逆にその思いを感じきれず、憎まれ口をたたいたりする。
つくづく他人との関係は微妙なものだと思う。
時間を掛けて大切に関係を築いてきたつもりが、ポイッと信頼関係を反故にされたり・・・。
当の本人は、人を傷つけたとは露ほども思っておらずケロリとしているので、ここで文句を言えば大人げなく、ただ喚いているだけに取られてしまいそうで悔しいので素知らぬ顔を決め込む。
「そんなー!」
「うっそー!」
「こんなことってあるの?」
と嘆いたところで始まらない。
思いを裏切られたことは、事実として目の前にあるのだから仕方がないのだ。
だから、つくづくと思うのは「人間関係は片思いと同じだ」ということなのである。
自分の思いが報われることもあれば、報われないこともある。
結果がどうなろうが、
「ま、こんなものか」
と構えておくくらいが大人(たいじん)というものだろう。
しかしながら、理想は理想。
こうしたことが身に降り掛かる度に毎回、叫び、嘆き、心の内で悪態をつきながら落ち込んでいる。
どんなに嘆いても悔しがっても事実は変わらないどころか、そんな自分の姿に一番傷ついているのは自分自身なのだということは百も承知しているのだが、この悪循環から離れられない。
そんな自分が情けなく、また落ち込む。
だ・か・ら、
人間関係は恋愛と同じなのよ。
相手に尽くして、尽くして、愛し切る。
見返りは求めない。
一方通行の道を只、ひたすら歩き続けることが良い人間関係を築いていく基本。
人生は、いろんな出逢いに満ちている。
そして出逢いながら、いつかは別れていくもの。
その別れの時に相手との出逢いに感謝しながら爽やかに手を振って、去って行く人の後姿を見送る。
それがカッコイイ大人というものでしょう。
こころの中で、もうひとりの自分が言い放つ。
そうね。
そうやってさばさば気持ちを切り替えて、人生街道を歩いて行けたらどんなにか楽かと思うよ。
でもね・・・
溜息をひとつ。
どこか気持ちの切り替えスイッチって付いてないかなあ。