今年も無事にシャンティ国際ボランティア会が行っている『絵本を送る運動』のボランティア活動が終了し、11月に東京事務所へ完成した絵本を返送した。
日本の絵本に、翻訳されたカンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー、そしてアフガニスタンの言語シールを貼って、送り先で待っている子供たちへ届ける。
シールを切って貼るだけの誰にでも簡単に出来るボランティア活動だ。
婦人会である神応院菩提樹の会の発足時からの活動なので、細々ながら30年ほどになる。
家庭に居ながらにして、年齢に関係なく誰にでも取り組める活動というのが、この『絵本を送る運動』の良いところだと思う。
出来上がった本を確認し、段ボールに詰め、宅急便のシールを貼る。
毎年のことだが、この時、一種、任務は果たしたといったような達成感と安堵に包まれる。
さて、宅急便を依頼する。
つい数年前までは目の前の酒屋さんに持って行けば任務終了だったのが、その酒屋さんが廃業し、車で集配センターまで持って行くようになった。
しかし、その集配センターも無くなり、今は仕方なく電話で集荷を依頼する。
「もしもし・・・」
0120から始まるコールセンターに集荷依頼の電話をかける。
機械的な音声が流れ、内容によって番号を指示通りに押すように誘導してくる。
その上、
「この電話はAIが応対しますので、はい、いいえでお答え下さい」
発音といい、イントネーションといい、なんとも言えない感覚。
指示通りに「はい」「いいえ」で答えていると無駄なものはすべて破棄というような自分まで無味乾燥な存在に思えてくる。
近頃は、いろんな場面でAIと出くわすようになった。
失敗したり、間違えたり、途中で詰まってしまったりすることは全くなくなり、どこを切っても、いつ聞いても同じ調子に声が流れていく。
コロナ禍でこの3年、人と直接会って、会話を愉しむというそんな単純なことさえも出来なくなった。
リモートで直接遠方に出掛けなくとも、講演会や会議に参加できるという便利さもある。
でも、鮮明に映る画面の向こう側に思わず手を伸ばしたくなるようなこの物足りなさは何だろう。
やっぱり私は生(なま)がいい。
生(なま)でなくては味わえない、伝わらないという実感が絶対にあると思う。
来年こそ、直に逢って、生(なま)で伝え合う。
そんな普通の感覚に戻れることを願っている。