日曜学校の子供が私の見送りの姿を見て、
「呆然としているじゃん」
と笑った。
小学校2年生の彼女が、そんな言葉をいつの間に知ったのかと驚きながら、「君、君、ちょっと、その遣い方は違うんだよねえ」と言いたい気持ちをグッと抑えて、いっちょ前に大人ぶって言う目の前の小さなレディーに私は思わず笑ってしまった。
「別に呆然としているわけではないんだけど・・・」
と言いながら、「バイバイ!」で別れもすんでしまう今の時代、人を見送るというシーンはあまりないのかもしれないなと思った。
去りゆく人の後姿が見えなくなるまで、相手への感謝と無事を祈りながら見送る。
ただそれだけの行為が出逢いを深くしていく。

別の話になるが、咀嚼(そしゃく)という行為。
咀嚼(そしゃく)することは身体にとって、とても大切なことだとよくいわれる。
ゆっくりと、くりかえし食物を噛むことで唾液が分泌され、唾液の中のアミラーゼが消化を促し、内臓の負担を軽くして身体を健康に保つ。
でも、それだけだろうか。
ゆっくり噛むことを繰り返す内に感じることがある。
食べ物の余韻というのだろうか、表面的な味だけではなく奥に潜んでいる味が噛むことによって引き出されてくる。
薫りのある食材などは、噛んでいる内に鼻に香りが抜けて重層的な味わいを愉しむことが出来る。
咀嚼するという行為は、正に味覚を深く味わいある世界へと導いてくれる。

今の時代、人々は忙しい。
時間に追われているというこの現実の中で、ときには「ゆっくり、味わう」ということを心掛けてみるということは大事なことなのではないだろうか。
この2年間。コロナに翻弄され、不安と息苦しさの日々を送って来た。
だからこそ、立ち止まって自分の生活の仕方、時の流れていく様子に目を開いて、生きていることを味わってみることが出来ないだろうか。
ご飯を食べる。
ゆっくりと咀嚼して食べる。
甘いお米の味わいが口に拡がって気持ちも豊かになってくる。

人との出逢いを大事に過ごす。
時を味わい、相手と喜びを分かち合う。
そうした小さなこころがけの一つひとつが、人生を豊かに、味わい深いものに仕立てていくような気がする。
新しい歳が始まる。
これからの365日。
ゆっくり、楽しんで、味わいのある日々の中で暮らして生きたい。