コロナ、コロナと報道が続き、世間は政府の対応の悪さをあげつらって声高に批判している。
そのテンションが高くなればなるだけ、聞いているこちら側は何だか疲れてきて、その内、気持ちが沈んでくる。
喧嘩をしているところや、人が叱られているのを見た時に、こちらまで悲しくなる時と同じだ。
気持ちが沈むものは見ないに越したことはない。
確かにコロナウィルスの流行で予定していたことが全てなくなってしまった。
準備していたことがおじゃんになるということは、なんだか気が抜けたようではあったが、感染を恐れて暗い気持ちに沈んでしまうというのも情けない。
よし!この際だからいろんなことをしようと思った。
毎日が日曜日、時間はたっぷりある。
先ず、庭仕事を始めた。
昨年の梅雨時に手掛けた挿し木が全て根付いたので、それを地植えにしながら庭全体を
やり直そうと思い立った。
以前使っていた鍬は、もう今の自分には重すぎるようになったので昨年買い替えておいた。
軽く小さな鍬では、そのひと振りも心許ないが、それでも土塊をほぐしながら、穴を掘ったり、平らにしたり、結構な労働となった。
まだ自分でも出来るのだという喜び。
それを発見できただけでも嬉しかった。
活けた後、挿し木にしたリョウブの小枝がいつの間にか育ち、建物の関係で半分は日陰になる小さな空地の中でシンボルツリーに育っている。
大きく枝が張り出してきたので去年花の後に剪定したが、丁度いい具合に中央に木陰を作っている。
その後ろには「隅田の花火」という名の紫陽花。
名前の通り、梅雨時には花火のような形の花が華やかに咲く。
日の当たらない場所でも育つようにと半日陰で育つ植物を少しずつ集めて来た。
増えすぎたものを省き、増やしていきたいものを見守りながら時を過ごしていたら、今年は結構たくましく芽吹いてきた。
消えてしまったと諦めていた花が「忘れないでよ」と言わんばかりに広がって、芽吹いてきたものも結構あった。
擬宝珠も一株だったものが二株、三株、株分けしたものがそれぞれ大きく育っている。
その姿は、成長した子供たちが独り立ちして大きく育っていくような感動がある。
少しばかり草抜きをして、後はただぼうっと眺めている。
早くも紫陽花に小さな蕾が付いていることに気付く。
牡丹の蕾が薄紅色に変わってきている。
外出自粛が言われる前に急いで買って来て植えたイチジクも芽吹きが始まっている。
忙しさの中で見過ごしていたもの。
今まで気が付かなかったことを、空いた時間の中で見つけ出している。