
お寺に育ちながら、お寺が段々社会から遠くなっていくような気がして、年々焦りを感じる。
家が大きな存在を持っていた時代は、各家の宗教は世代を超えて受け継がれ先祖祀りをし、お寺を訪ねるということが、ごく普通に行なわれていた。
そんな時代が今や遠くなり、お寺へ行くときはご不幸があったときか、ご法事の時しかなくなってしまったように思える。
ご法事や葬儀ですらホテルや葬儀会館で行なわれることもあるから、人々の心が自然とお寺から遠のくのも無理からぬ事だと言える。
現代、お寺は人々の意識の外に存在しているというと極端だろうか。
お寺の境内に夕方遅くまで子供らの遊ぶ声が響いていた時代
「方丈さんは、おるか」
と言いながら茶飲み話をしに来る人。
「どうしても聞いてほしい」
と言って仕事が終わって話しに来られ、夜更けになるまで延々と心の中のものを吐き出して帰られる人。
そんな風景がお寺の日常だった頃。
今は、先祖祀りということも、親を見送るということもひどくドライになってしまったような『連』ではなく『個』の存在でしかなくなった人の姿があるように思える。
核家族化が進んだから、と言うけれど、それならば江戸時代なんかはどうだったのだろうか。
庶民の営みの中に『寺』のいる場所はあったのかと、ふと、思う。
先月、花まつりを無事に終えることが出来た。
昨年から、限られた人たちの中で行なう『花まつり』ではなく、自由に、どなたでも、事前に申し込まなくても、ふらりと参加できる形式に切り換えた。
一部は法要とお楽しみ、二部がマルシェ。
昨年末で日曜学校は会員が0となり、只今休会中。
そういう訳で法要の中で行なう献灯、献香、献花、嘆徳文は総て大人が行なうことになると予想していた。
ところが行事の準備を進めていく内に昨年、マルシェの中で子どもたちに人気があったゲームコーナーを誰の担当にするかということで悩んだ。
昨年は日曜学校の卒業生たちが担当してくれて、輪投げを楽しくチーム制にして競わせたりしてコーナーを盛り上げてくれた。
はて、今年はどうしたものかと悩んでいたとき、ふとママCafeのメンバーに声を掛けてみることを思い付いた。
早速相談すると二人のママが協力しても良いといってくれ、それならばもう一つ、一部の法要の時に子どもたちにこんなお役があるのだけれどと持ち掛けると、快く役を引き受けてくれた。
子どもたちが出るならばと、撮影隊にパパも参加し、孫が出るならばと、祖父母も参加。
お陰様で、子どもたちと様々な年代の大人が本堂に並んで法要が始まるという、本当にお釈迦さまのお誕生日らしい『降誕会』の風景となった。
ママCafeをやっても無駄なことだという人もいる。
一所懸命やっても思うように芽が育たない。
本当に、この方向で間違ってはいないかと、いつも思い悩む
けれども、芽はすぐには育たない。
出ない芽もあれば、出ても枯れてしまう芽もある。
けれども続けることで育っていく芽もあるのではないか。
今回、花まつりを終えて、マルシェの出店者の方々、ママCafeのママたち、お寺の婦人会の方々、いろんな年代の方々と話をして、刺激を受けながら、実る、実らないというのは、もはや関係なく、その繋がり自体を楽しんでいる自分がいる。
あとは野となれ山となれ。悩んでも仕方がない。
愉しむこと、愉快な毎日を過ごすことが一番!
それが、只今の心境なのです。
