拝啓
お元気ですか?
相変わらずコロナウィルスの流行は止まず、先の見通せない毎日が続いています。
お寺も、昨年から総ての行事が中止となりました。
生まれてこの方、こんな静かなお寺は初めてのことで戸惑っています。
今迄「繋がり」「ご縁」を大事に、お寺の中で活動してきましたが、今や集まること自体が出来なくなりました。
お寺でご法話を聴く。
コンサートを愉しむ。
日曜学校の子供たちの読経の声、笑い声。
一緒に食事をすること
婦人会のボランティア作業
ご飯を頂きながらの楽しいおしゃべり
そんなことが総てなくなってしまいました。
手も足も出ないというのは、こういうことなのだとしみじみ感じています。
でも、達磨さんのように七転び八起き。
災い転じて福と成す。
今までの長い歴史の中でも、悲惨な疫病、飢饉、戦争・・・様々な苦難を乗り越えて佛教は伝わって来たのですから、今が踏ん張り所なのだろうと思いながら自分を鼓舞しています。
昨年、コロナが騒がれ始めた頃、買い物に行った文具屋さんに聞かれました。
「いつ終わるか分からないコロナで不安な中、いったい私たちはどうすればいいのでしょう。」
おまじないでもあるのだろうかとも言われました。
確かに、目に見えないものに脅かされる不安は誰しもあるでしょう。
でも、先の予測が付かないことをあれこれ悩んでも仕方がない。
毎日、今やるべきことを一所懸命やるしかないのでしょうねえ、とお伝えしました。
それは本当に私の正直な気持ちでした。
自分自身も、何も出来ない中、今、今を一所懸命するしかないと思っていました。
掃除をし、洗濯をし、料理をする。
当たり前のことを淡々と行う、それしかないと思いました。
昨年から少しずつ境内の整備を始めています。
整備と言っても花壇を手直しするくらいのところですが、丁度、門の前には信号があり、車が止まる度にお寺の境内が見えます。
門前を行き来する多くの方もおられます。
そうした方々がふと境内に目を向けられた時に心和む風景が広がっていたら、陰ながらの応援に少しでもなるのではないかと思いました。
境内の中央には、今の時季、樹齢100年を超す菩提樹が豊かに若葉を茂られ、花壇には錦木の黄色の花が満開となっています。近くに寄って頂くと甘い香りもしてきます。
そうした花を見て心のなぐさめにして頂ければと、これからの季節に向かって手入れをしています。
季節の巡りと共に花が替わり、その成長を眺めていると結局、これが自分の楽しみになり「お寺の今をどうにかしたい」という大義名分など吹っ飛んで只々楽しく、自分自身の心が励まされていくのを感じます。
お寺の掲示板にしてもそうです。
お寺の掲示板を見て下さる方がおられるのです。
ある時などは、「月が替わっても言葉のポスターが替わってない」とお電話があったり、そうかと思えば「今月の言葉は、どういう意味でしょうか」とお問い合わせを頂くこともあります。
双方とも、お寺の者にとって嬉しい限りです。
ああ、皆様が見守って下さるのだなあと実感させられ、力を頂く瞬間です。
掲示板の前を朝晩、通勤通学していく人、犬の散歩やジョギングの人達など行き来する多くの人達に向けてのエールと思って始めたことも全て自分に向けてのエールに変わっているように思います。
今、自分に出来ること。
それが何なのか、何が正解なのか分かりませんが、とにかく自分に出来ることを精一杯していく―これしか道はないと思っています。
梅雨入りも近いようで雨の日が続きます。
コロナはまだまだ収まりませんが、どうぞお身体お大事にお過ごし下さいますように。
くれぐれもご無理をされませんようお祈り申しております。
敬具