子供は、お話を聞いている内に、その世界に入り、想像して主人公と一緒に考える。
お話に疑問を持ったり、感動したり、不思議に思ったりする。
お話ではないけれども幼稚園の時、「やぎさんゆうびん」という歌を唄った。
歌は二番構成になっていて、一番は、友達のしろやぎさんから、くろやぎさんに手紙が届く。
けれども、くろやぎさんは、紙が美味しそうでつい手紙も読まないまま食べてしまう。
続いて二番は、逆にくろやぎさんが同じようにしろやぎさんから届いた手紙を読まないまま食べてしまったという笑いを誘うユニークな歌詞だった。
よく憶えているのは、「なぜ、やぎは我慢できずに手紙を食べたのか。紙はそんなに美味しいのか?」という疑問が歌を教えてもらった時から私の頭の中で湧きあがり、どうしても納得できずにいた。
早速家に帰って私がしたことは、やぎさんがしたように紙を食べてみることだった。
結果は、当然のごとく不味かった。
でも、やぎは、こんなものが美味しいのかと妙に納得して感心したことを憶えている。

忘れられないお話は、『月に上ったウサギ』というお話。
これは山で兎ときつねとタヌキが仲良く暮らしていた。
そこへ、ある日、お腹を空かしたおじいさんがやって来る。
おじいさんに元気になってもらおうと3匹はそれぞれ食べ物を探そうとする。
タヌキは山で木の実を きつねは川で魚を採ってくるけれども、兎だけは何も見つけることが出来ず、自ら炎に飛び込んで身を捧げる。
行き倒れのおじいさんは、実は神様で、三匹の気持ちを試すために天から降りて来たというのだ。
神様は、炎から兎を救い月に連れ帰り、それ以来、お月さまには兎がすむようになった。
タヌキときつねは、月を見る度、兎を懐かしく思い出すのだった―というストーリーだったのだけれども、初めて聞いた時から今も、どうしても納得がいかない。
何故、神様は三匹を試すようなことをなさったのか。
信じて見守って下さっていれば、三匹は今も仲良く山で暮らしていただろうに。
月を見れば兎の姿が見られると言われても、私だったらちっとも嬉しくない。
むしろ見る度に、寂しくて涙が出てしまう。
なんとむごい仕打ちをされるのかと、子供の時に思った疑問が今もずっと心の中にある。

大人になって知ったのは、これは「身施(しんせ)」という布施行を表現したものだということ。
「でも・・・」
と、今でも月を見ると疑問を持ってしまう。
中秋の名月の時季になると、夜空を見上げ月の美しさを愛でながらも、ついこの疑問が頭の中で浮上し、今も兎は月にいるのだろうかと要らぬ感傷に浸ってしまう。
子供時代の疑問は、今も未解決のままだ。