「スイッチインタビュー」というテレビ番組があり、好きでよく観る。
一線で活躍する人同士がお互いの仕事場を訪ねあって対談する。
相手に対する好奇心と、何かを吸収しようとする探求心が迫ってくるようで、見ているとワクワクして面白い。
全く異業種でありながら、相手からキラキラと輝く宝石を取り出し、丁々発止とやりあう正に魂の対決といった趣がある。
一流の者同士、違ったことを追求しながらも通じるものがあるらしく、言葉では表しきれない何かをお互いに感じあっている場面を見ているのは、テニスのグランドスラムを観戦しているようで愉しい。
随分前に俳優の奥田瑛二氏と茅葺職人の相良育弥氏の対談があった。
かやぶき屋根というのは何も日本だけの文化ではなくヨーロッパにも伝えられている技法なのだそうで、言われてみればグリムの『3匹のこぶた』にも、わらぶき屋根は登場するなあと思いだしながら話を聞いていた。

相良育弥氏は伝統的な姿も残しつつ新しい技法も取り入れ、外国の技術も組み込みながら、今現代のかやぶきを造形しているようだった。
かやを使った思いがけない形や建物の映像が次々と紹介されていき、それだけ見ているだけでも楽しかった。
対談の途中、相良氏が奥田氏に話した。
「僕はこの世の人の評価を考えないのです。全く考えないというわけではないけれども、それよりもあの世の人たちがどう思っているか、その方が気になる。」
かやぶき職人だった彼の祖父が、あの世から彼の作品を見、どう思っているか、その方が気になるというのだ。
とても興味深い発言だった。

あの世とこの世。
現代この二つ世界の繋がりは薄くなった。
生きている今の世だけが全てという考えが主流になり、刹那的な人生を送る。
しかし少し前までの日本人は、この世とあの世は続いていると考えていた。
お盆は、その懸け橋であり、あの世にいるご先祖が、この世にいる私たちのもとに帰って来られる時だった。
そうやって、この世と、あの世は魂の交感を繰り返してきたのだ。

芸能も今でこそ、観客側に向かって演じられるけれども、本来は「奉納」だった。
神仏に向けて、歌舞音曲を捧げ祈る。
それが、もともとの形だった。
相良氏は、それを意識している。

今の思惑にどっぷりと浸かっている現世の人々からの評価ではなく、あの世から見守ってくれている人々の目線を気にしながら仕事をするのだとも語った。
「恥ずかしくない仕事を・・・」
人は生きていくうえで「意識する」ということを避けられない。
けれども、その意識をどこに求めるのか。
その答えをもらったような気がした。
生きるということは、祈りに通じていくのだと教えられたような気がした。