
お寺が法要会場となり、たくさんの方々をお迎えする行事があった。
本堂を整え、座敷を整え、花を活け、床の間に軸を掛ける。
たくさんの僧侶方をお迎えするに相応しい老師様の軸を出した。
筆致が懐かしく、字は体を表わすという言葉通り、威風堂々と温かい老師様のお人柄そのもので、しばらく眺めながら懐かしい思い出に浸った。
筆致の温かさは感じることが出来るけれど、しかし肝心の字が読めない。
見事な筆致ではあるが、読めるのは5文字の内、僅かに「遍」と「不」と「蔵」のみで残りの2文字が読めない。
しかも、それぞれの字が、どういう意味を持ち、五文字がどう繋がっていくのか、金庫の数字が合わなくては扉が開かないのと同じで、残りの2文字が解らない限り理解の扉は開かない。
あれこれ調べる内にやっと「遍界不曾蔵」の五文字だということに辿り着いた。
「へんかい かって かくさず」
と読むのだという。
出典は、なんだろう。
これも、調べてみると曹洞宗の開祖、中国の洞山良价禅師のお言葉なのだと知る。
へえー、曹洞宗開祖の洞山老師のお言葉だったのかと、お軸の言葉に改めて向き合うような気持ちになった。
「今頃、解ったのか!猫に小判だったなあ」
老師様のお叱りの声が聞こえるような気がして来て、少し笑った。
さて、次は意味を調べなくてはならない。
「遍界」はどうにか「「曾」などは「かって」とは読みがたく、その上「蔵」という字は、米蔵とか土蔵とかのイメージしかなく、果たして蔵という字が「かくす」という意味に繋がっていくことなど想像も出来なかった。
軸の意味としては、
「真理は、隠れることなどなく、この世界のどこもかしこも真理に満ち溢れている。目をこらして見よ」
という意味なのだろうかと勝手に解釈した。
仙涯和尚のアブの話をふと想像した。
あれも遍界かって蔵さずだったのだと、昔の記憶と目の前の事実が結びついて景色が開けたような気がした。
法要は滞りなく終わり、片付けに追われて、就寝の時間を迎え自室に戻る。
日曜日にお月見コンサートがあり、続いての今日の法要と支度に追われたここ2週間だった。
大概、行事を抱えていると部屋が雑然としてくる。
資料や、メモも散らかり、日常の片付けを好い加減にしていた惨状を見て嘆息する。
「遍界かって蔵さず」
このわが部屋にも真理は満ちているのだろうか。
先ずは、片付けてからみつけてみるか。
