「 もうひとりの自分を育てる 」
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪冴さえて冷(すず)しかりけり
 曹洞宗の宗祖、道元禅師様が詠まれた御歌で、『傘松道詠(さんしょうどうえい)』という禅師様の和歌集の中に収められています。
作家の川端康成がノーベル文学賞受賞のスピーチで引用し、広く知られるようになりました。
一読すると変わりゆく季節の中に美を見出していく、そんな趣の歌として捉えられますが、愛知専門尼僧堂堂長である青山俊薫老師に お教え頂いた言葉が、心に残っております。
「冬雪冴えて 冷しかりけりの『冷し』は、気温が低くて寒いということではないのです。物事に対して、浮ついたり、のぼせたりしないで、常に冷静であれというこころのありようを説かれたお言葉なのです。」
人は感情の器と言われるように、私たちは日常生活の些細な出来事で喜んだり、悲しんだり、怒りにまかせて言葉を発したりしています。
そして、事が終わった後に、「なんであんなことをしたのだろうか」と自分の事でありながら情けなく落ち込むこともしばしばです。
正に感情のジェットコースターに乗っているようなものです。
そんな私たちに対し、「冷しかりけり」、冷静に自分のこころを見つめてみなさいと道元禅師は諭されています。
今自分は、何に喜んで浮かれ、何に腹を立ててイライラしているのか。こころを静かにして観察していると、その原因が見えてくる。
見たくない自分、醜い自分を見つめる眼を育てていくことが大事なのだと教えて下さっているように思います。
しかし、冷静に自分を見つめ、欠点を改めて、正しい方向に向けて行くことは、並大抵のことではありません。
多くの人は惰性に流され、怒涛のような感情の波に押し流され続けていきます。けれども、そこを何度も立て直し、見つめていこうとする努力が大事なのだと思います。
坐禅は、その立ち帰りの時間です。別に坐禅でなくとも一日の生活の中で、姿勢を正して静かに坐るだけでもいい。
自分の眼差しの方向を修正していく時間と意識を持って生活していきたいものです。

 

合掌
神応院住職 西村 英昭