「 生かされている己のいのちに感謝 」

早いもので今年もお盆がやって来ました。亡き人を家族みんなでお迎えし、供養して、偲ぶ。いのちの繋がりに感謝することを形に表し、意識しながら生活をする期間としてお盆という行事を大切にしたいものです。
人は意識しようがしまいが、他人と関わらずに生きていくことは出来ません。「いや私は人に迷惑を掛けませんし、ひとりで充分生きていけます」という人も今の時代少なくないでしょう。
でも考えてみれば、誰しも親がおり、その親にも親がいて育てられてきました。
そのいのちの流れの中で自分も成長し、また新たな方々と沢山出逢うことによって見守られながら大人になっていくのです。
ご近所の人達、病気になればお医者さんのお世話になり、幼稚園や学校に行けば先生との出逢い、友達との出逢い、数限りない出逢いの中で私たちは育てられています。
「自分は関係ない」と言いながらも否応なく他人様のお世話にならなければ、今食べる食事すら口に出来ないのが現状です。
自分が意識する、しないに関わらず、多くの人たちのお陰で生かされている―これが、「私」の姿なのです。
そんな嫌が応でも関わらないといけない他人との関係の中で、折角ならば心地の良い関係を築いていくことが出来れば、自分にとってそれが大きな支えになり、追い風になって生きていく背中を押してくれる存在になるのだと思います。
そうするにはどうすればいいのか。
今の自分を見詰め、支えてくれている多くの存在に対して改めて目を向けてみましょう。
そうすると心が平らかになり、自ずと自分の中から湧きあがる感謝の念に気が付くことと思います。
自分に関わる総ての人、物、更には自然環境、ありとあらゆるものに今在る自分は支えて頂いているのだということに気付かされたとき、感謝の気持ちがこころの奥底から自然に湧きあがって来るのことでしょう。
そして、順境であっても、逆境であっても、勇気をもって受け入れ、先ず無条件でいのちを頂いていることに感謝し、生きていこうとすることが出来れば素晴らしいことだと思います。
勿論そんなに簡単なことではないということは解っています。辛く、悲しく、苦しい時には周りの人々が幸せに見え、何故、自分だけが苦しまなければならないのかと一人取り残されたような気がします。でも、辛苦の底まで行ったとき、トンと底を蹴る勇気を持ってほしいのです。
そして感謝という光に向かって上がって来た時、あなたの心の中に沢山に人たちの存在が満ちていることに気が付いてほしいのです。

今、NHK大河ドラマでは渋沢栄一が描かれています。
多くのことを残した渋沢栄一が実の孫に伝えたことの中で「思いの習慣」ということがあるということを本で読みました。
辛いことも、腹が立つことも、総て感謝で受け止める。そういう思いの習慣を身に付けていくことが大切だと教えられたということでした。その教えを守って、お孫さんは上手くいかないことがあっても自分の向上に必要な応用問題だと受け止め、憎い相手、意地悪な相手こそ自分をレベルアップさせてくれる大事な存在と楽しく感謝するようにしたと語っておられました。
生きていくことは幸せなことばかりではありません。
一見幸せに見える人でも、案外苦しみや辛さを抱えておられることもあります。
どんな人も、辛苦の辛さから逃れることは出来ないのですが、ただ一つ「感謝」の思いを徹底する。
多くの恩愛の中で自分が今、生かされている、そのことに目覚めることが自分のこころを安らかにしていく唯一の道ではないかと思います。
家族が集まり、ご先祖のご供養をするお盆。
この時を通して、いのちの繋がりの中で生かされている自分にもう一度目を向けてみる。
それが「ご供養」に繋がっていくのだと思います。

合掌
神応院住職 西村 英昭