「 たわいのないこと 」

新年あけましておめでとうございます。
昨年は災害にくれた一年でした。その中で、大変な思いをされて日々を越されてきた方々のことを思います。
その多くの人の為にも、どなた様にとっても新しい歳がどうぞ安寧な一年になりますよう祈念致します。
毎年365日、春夏秋冬と同じような日々が続いているように思えますが、昨年のような災害に見舞われてみると如何に平凡な毎日が大事であったか、有り難いことであったかを痛感します。
人間というものは勝手なもので、毎日が平坦であれば「なんて退屈な日々だろう」と愚痴をこぼし、不平を言いますが、考えてみると平凡な毎日こそ幸せの種が綺羅星の如く詰まっているのです。
しかし、人の目はそこには行き届かずに、どこかにある「幸せ」をつい求めたくなるものです。
レストランに行って注文した後、隣の席の人が食べているものがやけに美味しそうに見えたという経験がおありの方も多いと思いますが、ことほど左様に人間というものは、自分の足元は見ないで他に目が行きやすい動物のようです。もしかしたら、もっと良いものが他にあるのではないか、こんなことではなく自分の人生はもっと違うのではないかとあれこれ夢想します。
そうしている間に、足元の砂は崩れ、思い描いている人生の行き先も見えないまま、時間の中で立ち往生しているのが現実です。結局、幸せは先に求めていくものではなく、今、l此処の時点をしっかりと固めていかなければ人生という道のりは築いてはいけないのです。
『人生は、今、今、今の数珠つなぎ』
以前、掲示板のことばに使わせて頂いた読み人知らずの歌ですが、正に言い得ているのではないでしょうか。
平凡と思える人生を大事に生きていくことによって、その人生に輝きを与えることは、自分自身でしか出来ないことです。
毎日たわいないことの積み重ねに思えたことも、真剣に向き合って大事に過ごしていけば、そこに新たな発見があり、喜びを見つけ、それが幸福へと繋がっていく。
そう考えたら、人生はワクワクと楽しいもののように思えませんか?
たわいのないことの積み重ねが、あなたに輝きを与え喜びとなる。
新しい一年、日々を丁寧に積み重ねていきたいものです。

合掌
神応院住職 西村 英昭