「 種まき 」

新年明けましておめでとうございます。
昨年は「平成」から「令和」と年号も変わり、今からどんな時代になっていくのか、多くの方が期待と不安を抱えておられることと思います。しかし善いことも、悪いことも自分の好む好まないに関わらずやって来ます。
その中で、どう生き抜いていくのか、自分の智慧を働かせなければなりません。
さて、この「智慧」というのは一体何なのでしょうか。ここで注意してよく見て頂きたいのは私たちがよく言う「知恵」とは違う「智」と「慧」という漢字が使われていることです。
「知恵」は人間の欲が生み出すもので、その欲望から生み出されたものは怒りや争い、苦悩を生み出す切っ掛けにもなっていきます。
他方、「智慧」は佛さまの智慧を示しています。
三人寄れば文殊の智慧、という言葉がありますが文殊菩薩様は智慧の佛様です。
慈愛に満ち、人を生かし、心を平安な世界へと導いていくものが智慧なのです。
だから、そこには人間の浅はかな損得勘定や、目先の事を計算するこころは含まれていません。自他の隔たりがなく、全ての生き物に対する優しさから発せられるものが「智慧」なのです。
けれども智慧は、生まれた時から発せられるものではありません。
育てていかなければ、その力を発揮することは出来ないのです。
お釈迦さまはご自身を種蒔く人といわれたそうです。しかし蒔かれた種を育てていくのは自分自身です。雑草を抜き、耕して土を柔らかくし、水をやり、肥料を与えてこそ種は元気に育っていきます。自分の中の「智慧」という種を育てていくのは自分自身。他の誰もやってくれるものではありません。毎日の生活の中で、佛様のお声を聞き、丁寧に智慧のこころを育てていく。そのことが最終的に人生という自分自身の大樹を育てていくことになるのです。神應院では、佛教講話会を行っています。年七回、ご自分のこころを耕す時間を持ちながら、佛様の教えの中で気づきを頂くということが、自分のこころを柔らかくし、豊かに育てていくことに繋がって行くことになるでしょう。
新しい歳が始まります。この一年がそれぞれのこころ育ての日々になっていくように祈念しております。

 

合掌
神応院住職 西村 英昭