今年の年明けは大変な惨事でスタートしました。
羽田の飛行機事故、能登地震、小倉商店街の火災。被災された多くの方々、命をなくされた方々に心よりご冥福をお祈りいたします。
最近本当に災害が多いなとつくづく感じますが、どうしてなのでしょうか。
私たち人類の有り様に対する警鐘なのでしょうか。
強く反省する必要があるように思います。
さて二月十五日は、涅槃会(ねはんえ)と言い、お釈迦さまがお亡くなりになった日です。
日本は仏教国と言われてはおりますが「お釈迦さまがお亡くなりになった日」と言っても、ほとんどの国民は知りませんし、マスコミにおいても扱われることはほとんどありません。
本当に寂しいことです。
仏教徒として肝に銘じましょう。
それにしても、私達はいろいろと悩みます。
いつの時代にも、若いときにも、歳を重ね、いい大人になっても、どうしてこんなに悩まなければならないのでしょう。
勿論、悩みの中にも大小様々ありますが、でも大小に拘わらず、その時、その時の悩みは私たちにとって「人生最大の悩み」なのです。
後から考えれば「何であんなことに」と思うこともよくあるのですが、その時は心底、悩んでいます。
実は、同じようにお釈迦様も悩まれました。
人は何故、苦しいむのか、何故、大きな悩みを抱え込んでしまうのか、歳を取り、病に罹って、いつかは死んでしまう。
とうとう悩みの果てに出家され苦行を続けられたものの答は得られず、苦行をやめて身を浄め、改めて樹下に座して静かに心を保たれました。
そしてお釈迦さまは、ついに大きな宇宙の法則、真理を感じ取られたのです。
「総てのものは縁起の法則によって成り立ち、しかも寸時も休むことなく、常に変化して止まらない」
即ち、私たちは人類という哺乳類の仲間として、この地球上に存在しているわけで他の動植物と同じように自然の法則に左右される構成員の一員なのです。
そして、その法則を外れることは出来ない存在です。
しかし人間は、その法則に逆らう自己欲が強く、思い通りにいかないことが常の如くあって悩みを生じているわけです。
変化するという法則の中で変化しないという存在を求めることは駄々をこねる子供のようなもので、亡くなられた元駒澤大学総長であった故奈良康明先生は「無い物ねだり」という言葉で表現されました。
この無い物ねだりが私達の苦しみを生み、悩みを生じさせるのです。
お釈迦さまは私達に
「少欲、知足」ということの実践を示して下さいました。
経済中心社会の中では、この実践は難題だとは思いますが、この実践こそが今の世の中の問題をいろいろ解決していく大切な糸口になるのではないかと思います。
情報や物が氾濫する現代。
この一見単純と思える「少欲、知足」というお釈迦さまの教えはなかなか実践できないものです。
でも、少しずつ積み重ねることによって自分の中の悩みから解放されるのだと思います。
「仏教ではなく、仏道だ」
永平寺管長を務められた宮崎奕保猊下のお言葉です。
仏教は実践しかないのです。