「 戒めと実践 」

令和の時代に入って二年目、輝かしい年になって欲しいと願い、期待して迎えた令和二年でありました。ところが、結果は、全く真反対の状態となってしまい、重く暗い気持ちに世界中が包まれてしまい本当に残念でなりません。
東北の震災以来、想定外という言葉がよく使われますが、我々一般人にとって、本当に想定外の事が、また展開しているわけで、「人類はいつかウィルスによって滅ぼされる」という、以前聞いた学者の言葉がふと頭をよぎります。
その一方で、永い人類の歴史において、人類の危機は幾度となく訪れているわけで、その都度、先人は大きな犠牲と共に苦労しながら乗り越え、今日に至っているのだと考えれば必ず今回の困難も乗り越えていくことが出来ると信じ、前を向いて歩んでいくことが大切だと思われます。

先日目にした臨済宗円覚寺派管長 横田 南嶺老師の著書『戒のこころ』の中から、皆様にご紹介させて頂こうと思います。

― 善い生き方とは何か、人として生まれて善く生きるとはどういうことなのかとひたすら求めてきたというのです。(略)人はみな自分が大切である。そのことが分かったならば決して人を害してはならないとお教えになりました。そして悪いことはしない、よい事をする。人の為に尽くすという三つ、簡単ですが、これほど難しいこともないでしょう。よく生きるということの意味はこの事に尽きるかと思います。やがてみな年老います。いつ病気になるかわかりません。
いつ人様の御世話にならなければならないかわかりません。だからこそ、よく生きることはお互いに相手の事を思いやって暮らすことです。―

現在、私達は今まで経験したことのない困難に直面しています。
誰かが悪いとか、誰のやり方が悪いとか、悪者捜しをするのではなく、一人ひとりが自分が人を傷付けないように、人を困難に追い込まないようにするにはどうすれば良いのか考え、実践していくことではないでしょうか。自分を愛しく思うように、相手をも思い遣る気持ちをしっかり持ちながら、それに伴う行動をすることが大事なのでないかと思います。
困難な時、追い込まれた時は自分の心が試される時でもあるのです。
善きことの実践。
お釈迦様の御教えを信じ、心をひとつにしてお互いに頑張っていきましょう。

 

 

合掌
神応院住職 西村 英昭