今回は、前から気になっていた曹洞宗宗務庁布教化部が発行している「布施行」についての冊子を是非、皆さまにご紹介したいと思い、横着ながらそっくり掲載させて頂くことにしました。

「あなたが公園のベンチに座っています。その目の前で、三歳くらいの幼児が転びました。

あなたはどうされますか?

多分、転んだ幼児が孫であれ子であれ、見ず知らずの子であれ、すぐに助け起こし、「大丈夫?」と言って、ケガなどしていないか確かめてあげるでしょう。「助けたら後でお返しがあるかもしれない 」とは考えることはないと思います。

このように、無条件に見返りを求めない行いを『布施行(ふせぎょう)』と言います。

しかし、転んだ子どもは他人の子であり、向こう側が身内であったら、どちらから助け起こしますか?

『布施行』は、理屈では簡単なことですが、その時々の状況や、「私(わたし)」という心が入ると、なかなか難しくなるのです。

私たちは、「私」という自我の上に成り立ち、それは常に変化を続けています。喜びを感じる私、怒りに満ちた私、悲しみに打ちひしがれる私、楽しい気持ちの私。こうように、様ざまに変化する「私」を内に秘めながら、自分と同じ「私」を持つ他の人との関係性において、日常は成り立っているのです。そして、「私」に深くとらわれてしまうと、人は傷つき、苦しむことが多くなるのです。

お釈迦さまは、「すべてのいのちは、常に変化の中にあり、それ一つでは存在せず、多くの関係性の中で初めて存在する」と示されました。このお示しを言い換えれば、無情の世に生きていく私たちも周囲もすべて思う通りに変化はしてくれないということです。

私の思い通りにならないと苦しむ心の状態とは、「私」に深くとらわれてしまっている状態です。身と心を常に調え続けないと、人はよりよく生きられないのです。そのための修行が『布施行』であり、この実践を通して、同じいのちを授かる他者との絆を深め、いのちを大切にできるのです。

冒頭のたとえは、決して我が孫、我が子という思いから離れなければならない、ということではありません。苦しんでいる人から目を背けないで欲しいのです。私も、でき得る限り、悲しみを持った人に寄り添い添っていきたいと思います。

それが、自他共に身心を調えることになると信じて・・・。

 

静岡県 成願寺住職  相原 昇明

曹洞宗宗務庁 教化部発行

『布施行』より

今年も後半期に入りました。

皆さまと共に深く、布施行の教えを心に染みこませ、行動に移したいものと思っております。

 

合掌

神應院住職 西村 英昭