縁の大切さ

六月の下旬、青森県八戸市の五戸町にある曹洞宗の御寺院へ行ってきました。

ご住職の引退の式である退董式(たいとうしき)、新しいご住職の就任式である晋山式(しんさんしき)が行なわれ、併せて先代ご住職の十七回忌法要も行なわれ、私も法要に随喜するようにとの依頼通知がありました。

青森と広島という遠隔地のお寺同士が何故、法要に出席するのかと不思議に思われることと思いますが、それには大変大きな繋がりがあるのです。

神應院二代目住職は、青森県八戸の出身で、今回、参りました長泉寺の十九代哲衡学英方丈の弟子となり、その娘と結婚した後、二十世住職となりました。
その後、様々な理由から長泉寺を離れ、東京の寺院に移り、学友からの依頼で呉の寺院へ移ったという経緯がありました。
当時は海軍が呉に鎮守府を置き、軍港として次第に大きく発展していく過程にあった為、市も非常に活気があったようですし、寺としての伽藍も苦労しながら整えていったと聞いております。
そうした中で、弟子も何人か育てながら一人は神應院の補佐をしながら岡山の井原市の寺院住職として、一人は自分が住職をしていた長泉寺の後継として送り、最後の弟子を養女と結婚させて、三代目住職としました。

今回訪れた長泉寺は、私にとって血統としては曽祖父母の住職したお寺であり、祖父母も短い期間であったにせよ二十代目として住職を務めた寺院であるという訳です。

そうした深いご縁で結ばれた遠き東北の地にあるこの寺院は、神應院にとって忘れてはならない大切な存在なのです。

私たち僧侶にとって、師匠と弟子は、師匠が弟子にお釈迦様からの佛教の繋がりである法受け渡し、それを弟子は受け継いでいくという嗣法(しほう)という深い繋がりで結ばれています。

この「法の上での繋がり」は、縦の繋がり、横の繋がりもあり、大事にしていかなければなりません。

今回の法要は、この法の上での従兄弟の住職引退の式であり、新住職就任式(晋山式)、

そして従兄の十七回忌の法要ということで、遠く青森に出向き、法要に出席(随喜)したというわけです。

その中で、私の役目は、この法の上での従兄の十七回忌法要の導師を勤めることでした。
二日間法要の最後に近い締め括りにあたる大事な追悼法要が始まり、順調に進むうちに、次第に私の中で込み上げてくる感情が抑えきれなくなり、とうとう法語が涙で読み上げられなくなりました。

曾祖父母、祖父母、そして今日まで大切にこの御寺院を守って来られたご苦労、檀家の皆さまの支えを思えば、思うほど、その思いが溢れ耐えられなくなってしまったのです。

今回、涙で法要を壊してしまう大失態を演じてしまったことは生涯忘れることはないと思いますが、自分にとっては二日間の雰囲気は心を温めてもらうほど印象的なものでした。
お寺と檀信徒の皆さまとの間柄が非常に温かく、お寺に対して協力的だなとつくづく感じました。
神應院もその様でありたいなと自分自身の有り様を見直していかなければと反省する機会となりました。

お寺という場は住職がひとりで作り出せるものでありません。

住職と団信徒の皆さまがお互いに助け合い、力を出し合って作り出していく場なのです。

今回の東北行きは、そのことを実感させてくれる出来事となりました。

その為には、私も住職として精進していかなければなりませんし、神應院の檀信徒の皆様方も、お寺に目を向けていただき、足を運んで頂きたいと思います。

理想とするお寺の姿は、そうした両方の力が合わさった時に見えてくるのではないかと東北の寺院を訪れて思った次第です。

合掌

神應院住職 西村 英昭