新年明けましておめでとうございます。
相変わらず国内、国外において様々なことが起こり、幸と不幸がない交ぜになったような日々が続いています。
でも、「明ける」という言葉に一年の希望を祈りたいと思います。
それでは、今年最初の「方丈の間」をお届けします。
携帯電話が出現し、その機能がどんどんと多様化し、いろいろな面で便利になってきました。
そして、その普及は子どもから高齢者に至るまで、どんどんと拡がってきています。更に、今では現金を使うことなく何でもスマホで出来てしまうシステムが浸透して、現金を扱うことなく生活が出来るようになってしまいました。
小さな携帯電話ひとつで、総てのことが解決してしまう。本当に恐ろしいような便利な時代になってしまいました。
私が生まれた頃、その時代はどうだったのか分かりませんが、小学生低学年の頃には既に我が家は電話が付いていたように記憶しています。
でも、各家庭に電話が普及するには至っておらず、所々の家に電話があるという貴重なものでした。
従って、通信手段には、もっぱら手紙や葉書が用いられ「書く」という行為が大切な作業でした。
字の上手、下手によって第一印象が大いに違うこともあったようで、筆やペンで便りを書くことに苦労していた人も多いと思います。
ところが電話が普及して、ほとんどの家庭に設置されるようになり、電話で即時に連絡が出来、情報を短時間で伝えることが出来るようになったことは本当に素晴らしい進歩だと思います。
しかし一方で、電話という機器を通すことにより、お互いの顔を見ることなく話すことが出来るようになると、相手の表情の変化に気が付かず一方的に自分の思いだけを伝えて、知らぬ間に相手を傷付けてしまうこともあったり、逆に顔を合わせないことを良いことに容赦ない攻撃的な言葉を浴びせてくるなど様々なトラブルも起きてきました。
現在、固定電話の時代から、更に携帯電話という通信機器を各自が持つようになり、利便性が高まった反面、その便利な機器を使った犯罪が日常茶飯のように起こっています。
人々の生活を快適にし、便利で楽しいはずの文明の機器が逆に人々を苦しめていく機器にもなっているのです。
人も物も、長所と短所があります。どんな便利なものでも、使う側の心の持ちようで様々変化していきます。
時代は急速に進歩し、その速さに流されそうな私たちですが、しっかりと自分を整え、指針を持って生きていかなければなりません。
この一年が良き歳になりますように。
合掌
神応院住職
西村 英昭
