「 最後の休息 」
先日行ったお葬儀で、とても心に残る出来事がありました。
病院での闘病生活の末、檀家様のA氏は残念ながら亡くなられてしまい、その知らせを受けて枕経に伺いました。
お宅に伺う前に、施主家のご希望は明日が通夜式、明後日がお葬儀だろうと考えて、
その日の檀家詣りをどう移動させて頂ければ良いのかと頭を巡らしながら出掛けていきました。
ところが、お宅に伺ってみると一日おいて二日目に通夜式、亡くなって三日目にお葬儀を行いたいという意向でした。
「病院で亡くなられたのだから、一日ご自宅でゆっくりして頂いて通夜式、お葬儀をされたらご本人様もきっとお喜びのことと思いますよ。」
葬儀社の方からのアドバイスで、一日式を延ばすことにしたということでした。
葬儀社のスタッフの名アドバイスにこちらの気持ちも温められたような気がしました。
それは、たぶん亡くなられたご本人、そして遺されたご家族の皆様も同じ気持ちであったろうと思います。
近頃は都会から始まった直葬が、地方の小さな田舎町にまで浸透してきました。
亡くなった病院から、即、火葬場に御遺体を運び、荼毘にふす。
初めテレビなどの報道で知った時は、多くの人はとても違和感を持たれたのではないでしょうか。
それが段々と浸透するにつれ「仕方がない、時代だから」と時流に乗ることに抵抗がなくなってきているような気がします。
そうした中での、この葬儀社スタッフのアドバイスは、亡くなった方、ご遺族の皆様の心に寄り添った素晴らしいものであったように思います。
忘れていたものを思い出させてくれた、「そうだな、病院で亡くなったのだから、せめて荼毘にふす前に家族と共に住み慣れた我が家で過ごす時間を持たせてあげたい」そういう気持ちを芽生させて下さったのでしょう。
勿論、忙しい現代社会の中で、どうしても時間を掛けて通夜、葬儀を行うことが難しいご家庭もあるでしょう。
それぞれのご事情の中で、精一杯の対応をされていることと思います。
でも、ご葬儀というものは、亡くなられた方だけのものではありません。
葬儀式を行い、佛弟子となった亡き人をあの世に送り出すという儀式と共に、ご家族、近しい人たちが亡くなってしまった方と別れを惜しむ時間でもあるのです。
「グリーフワーク」という言葉を聞かれた方も多いと思いますが、心の痛みを癒すという時間が遺された人には必要なのです。
人はいつかは死ななけばなりません。
けれども「死」を乗り越えていくことは遺された人にとっては大変なことです。
人生山あり谷ありという言葉通り、山や谷を乗り越えていく辛さは計り知れないものがあるでしょう。
けれども、生きるためにはその時点を乗り越えていかなければならず、だからこそ「明らかにする」ということが大事になってきます。悲しみの本質に目を向け、その事実から逃げないで受け入れていく心の強さが必要です。
そして亡くなったという事実を受け入れてこそ、次の一歩が踏み出せるのです。
その為に、葬儀式を行い、事実を事実として受け入れ、心を整えていくわけです。
最後の時間をゆっくりと過ごし、遺された人が亡き人と向き合い、ありがとうと感謝の思いを伝える時間。
それが通夜式、葬儀式なのです。
合掌
神応院住職 西村 英昭